今日は週末。それらしくアダルトな政治学をトライしよう。小泉純一郎と小池百合子の二人の関係を怪しむ声は少なくない。むしろ怪しんで見る方が普通の感覚であって、二人の間に男女関係はないと無理に言い張る方が不自然に聞こえる。両方とも独身であり、いい男といい女の二人であり、職場恋愛で何かがあっても別に何もおかしくない。この場合、それが事実がどうかは問題ではない。そうではなく、政治戦術の問題として、明らかに小泉首相側は二人の関係の怪しい雰囲気を今回の選挙で演出して利用したはずなのだ。小池百合子もそれを承知で受けて、いかにも仲のいい「勝ち組」熟年ペアのイメージを演出して宣伝したと言えるのではないか。小泉純一郎63歳、小池百合子53歳。仕事も恋愛も充実した二人がいい感じで絵になる。それを偶然ではなく、意図的に、集票プロモーションの武器として積極的に訴求したように思われる。今回の選挙で小泉自民党は都市に住む無党派層の若者に狙いを絞り、その層から大量の票を奪ったと言われている。
が、それだけではないのではないか。女性という要素も若者という要素に劣らず重要だったのではないかと私は思うのである。つまり小泉首相は女たちから支持を受け、女たちから票を奪った。若年から熟年まで広範囲に女性票を民主党から奪ったのではないか。女の票を奪うことができたのは、女の心を奪うことができたからだ。今度の小泉自民党の選挙戦略のキーワードは「女」だった。刺客候補に対して有権者が拒絶反応を示さなかったのは、彼女たちが仕事も恋愛も現役のいい女たちだったからであり、同じ女でも南野知惠子のような一丁上がった女ではなく、政治の現場でも、また女性週刊誌でも、華やかな話題を今後も提供してくれる夢のあるギャルだったからである。あのシンデレラ・ショー・ポリティックスは見る者にとっては不愉快なものではなく、逆に心をときめかせる魅力的な演出として受け止められたに違いない。ダンディーで果断な小泉首相が次から次に刺客ギャルを選挙区に放つ映像は、少なからず女たちの心を揺さぶったはずだ。
女性のブログ読者は想像して欲しいのだが、例えばある日、携帯電話に小泉首相から直接メールが入って、「今夜、時間ができたから二人で食事がしたい」と誘いがあったとする。断るだろうか。私が女なら断らない。イブニングドレスとジュエリーを身に着け、赤坂見附の駅から弁慶橋の坂道をいそいそと歩いて行くだろう。
トリアノンの個室に着いたら、そこには小泉首相が一人で待っていて、ピノブランでミモレットを齧りながら、あの夜に公邸で森善朗と何があったのか一部始終を教えてもらうのだ。鴨のフォアグラポワレと鯛のパテを頬ばりながら、どうやって堀江貴文を口説き落として担ぎ出したか裏話を教えてもらうのだ。98年のオーパスワンを2本くらい空けながら、2年前に行ったバイロイト音楽祭の感動とワーグナーがいかに素晴らしいか夢中で話すのに聞き入るのだ。そしてテーブルにシトロネルのグラニテが運ばれたとき、小泉首相が目を見据えてこう言うのだ。「スイートをリザーブしているから泊まって行って欲しい」。私が女なら拒否できるだろうか。
終電の時間があるから帰りますと席を立つことができるだろうか。私はできない。私が女なら拒絶の選択はしない。バツイチの独身の身で夜な夜な公邸で何をしているのか、最初の妻とはなぜ別れたのか、父親として本当は息子たちの事をどう思っているのか、一つの寝具の中に入り、目と目を合わせ、顔と顔をくっつけて、直に聞いてみたいという衝動を抑えることができない。冷酷非情と言われ、誰にも心を許さないと言われるこの権力者の内側を、一瞬でもいいから覗き見る機会を得る誘惑に勝つことができない。肌と肌をぴったり合わせ、右脚を下半身の奥に割り入れて、この男の身体を確かめようとするだろう。シークレットサービスが外を警護するスイートで、言われるままに一夜を過ごし、噂されている性趣味の真否を確認してしまうだろう。小泉首相の魅力は時代を心得た絶妙のセックスアピールにある。非情な視線と粗暴な台詞、痩身を包むクールビズのダンディズム、インパクトのあるアジ演説、美食と芸術の豊穣な趣味、そして不良な私生活。
民主党の岡田克也はそうした小泉首相のイメージと対照的な男性像を見せていた。家庭を大切にし、歳暮や中元も全て突き返す真面目男、白のシャツとプレーンなタイ、黒のスーツ。愚直を全身のコーディネーションで表現していた。が、どうやら岡田克也の愚直より小泉純一郎の不良の方が、今の時代はアピールとして女にウケるのに違いないのだ。岡田克也が民主党の党首に就くにおいては、菅直人の五年前の女性醜聞事件と一年前の年金未納問題があった。クリーンな人間を党首にという動機が強く働いて、誠実で清潔で実直な岡田克也が党首になった。民主党の選挙戦略は、その岡田克也の人物像を強調してプレゼンテーションしていたと思うが、票を奪ったのはバツイチ小泉純一郎の不良男のセックスアピールだった。女たちも昔のように家庭で専業主婦をしているわけではない。社会に出て、多くの人と人の間で経験を積んで生きていて、価値観や感性も昔のものとは変わっている。むしろ小池百合子や藤野真紀子のような生き方の方が理想なのだ。
マニフェストよりセックスアピール。気分としての今の日本の女は、灰になるまでギャルなのだ。