「自民党の政策の方がわかりやすかった」という言説には三つのフェーズがある。第一はマスコミが見せる小泉劇場の演技と演出に説得され、その演出政治が強調する善悪の対抗図式を単純に「わかりやすい」と判断して、深く考えることなく「祭事」に踊らされてしまった無党派の者。第二は従来からの自民党(保守系党派)支持者であり、小泉自民党への支持を表明する上で便利な口上として「わかりやすい」を口にする者。第三に、それが本当は「わかりにくい」ものである政治的事実を十分に承知しながら、小泉自民党を勝利させるための言説装置として「わかりやすい」を意図的に連発して世論を誘導した確信犯のマスコミである。「郵政民営化」の政治というのは決して「わかりやすい」問題ではなかった。選挙中を通じてそれを理性的に論理で全体を説明した者は一人もいない。選挙中に「郵政民営化」をめぐって放たれた言葉は、悉くスローガンであり、ディベートであり、票を奪い合うための政治言語だった。エコノミストである松原聡や伊藤洋一の「郵政民営化」こそが、最も政治臭を放つ操作と扇動のプロパガンダだった。
よく考えると、この「わかりやすい」という言葉こそが曲者で、そこには日本語らしい多義的で曖昧なニュアンスが含まれていて、操作に利用されると政治的威力を発揮する武器になる。この場合の「わかりやすい」は、英語で言えば、which easy to understand だろうが、acceptable の意味もある。near to me もある。そして convinced と right の意味がある。① easy to understand ② acceptable ③ near to me ④ convinced ⑤ right 。①は客観的で理解的なニュアンスだが、⑤の方向へ意味がスライドするに従って価値受容的で価値選択的なニュアンスになる。態度中立的な立場が態度決定的な立場に変わる。これだけの意味が「わかりやすい」の中には混在して含意されていて、街頭インタビューで人が「わかりやすいから」と言う場合には、これらの中のどれかであったり、どれかとどれかを意識の中で適当に混在させながら言っているのに違いない。そして一度「わかりやすい」と言ったり思ったりした場合は、①はたやすく⑤へと化学変化を起こすのである。価値中立から価値受容へとズレるのだ。
認識レベルでの理解という意味だけでなく、そこに価値判断の契機が自然に入り込む。認識レベルのことを言っているようで無意識的に価値判断を滑り込ませる。「わかりやすい」にはそういう機能がある。だから政治操作に利用される。この辺のところを今回最も巧くやったと思うのは、私が見たかぎりではTBS「ブロードキャスター」の福留功男で、小泉首相や堀江貴文の言うことは「わかりやすいですよね」となり、亀井静香の言うことは「わかりにくいですよね」ということにした。客観的認識レベルの感想を言っているようで、実は価値判断を言っている。中立を偽装した者が一方に肩入れする場合に、この「わかりやすい」を使い分けることほど有効な演出技法はないのだ。福留功男は実に老獪で狡猾だった。選挙戦の序盤は小泉自民党の郵政民営化論と郵政民営化選挙を「わかりにくい」と言い得ていた反自民党系の評論家たちも、選挙戦の中盤から終盤にかけてはそれが言いにくくなり、朝日新聞も含めてマスコミの大勢は「自民党の政策主張の方がわかりやすい」と認める事態になった。ここでもう政治の勝負は着いている。
選挙戦の中盤以降、「自民党はわかりやすい」の意味は、easy to understand から right に変わって行ったのであり、その傾向と状況が強くなればなるほど、「自民党の郵政民営化論はわかりにくい」という(本来正論であるはずの)言説は少数化され、異端化され、否定されて行った。マスコミの議論からは完全に消された。郵政民営化一本で選挙を戦っている自民党は「わかりやすく」て、郵政民営化については態度を変えながら年金や子育ての政策を訴える民主党は「わかりにくい」存在となった。そして「わかりやすい」というところに政治選択の全てが流し込まれて行った。選ぶのは基本的に自民党か民主党しかない。それ以外はマスコミは当然無視する。選択は「わかりやすい」方に流し込まれた。「わかりやすさ」が選択基準のシンボルとなって溝条化(キャナライズ)されたのである。「わかりにくい」シンボルを引き受けた方が負けだった。マスコミは、こちらが正しいとか、こっちの政党の方がいいとは言わず、こちらの方が「わかりやすい」という言い方で誘導を図ったのである。価値中立を偽装した価値判断の誘導操作。
がさつで要領を得ない亀井静香の態度や表現に right の反応を示さないのは視聴者なら誰でも同じだ。そしてその態度や表現に対して not easy to understand と評価づけられると、誰でも agree と言わざるを得ない。テレビは郵政民営化反対論を亀井静香と小林興起の二人の悪役キャラクターに集中して代表させた。解散からニ週間の間が最も大事な戦いの時期であり、郵政民営化反対論は悪役シンボルへの一点集中攻撃と民主党の裏切りで大義を失った。郵政民営化反対論が専門家によって理路整然と説明される機会は一度もなかった。岡田克也はテレビが「改革ファシズム」で固まっている事実に気づくのが遅れ、情勢判断を完全に誤った。岡田克也にとっては、「郵政民営化」という国政上特に意味のない問題を無理に争点として捏造演出してきた選挙戦術は、内紛で追い詰められた自民党の悪あがきのように見えていたのだ。マスコミは昨年の参院選と同じく中立か政策本位で選挙を報道するだろうと甘く考えていた。マスコミが政権の一部となって機動的に動くファシズムの現実を見ていなかった。最初に「報道ステーション」に出演したとき(8/10)、異変に気づいたはずだが、手を打たずにそのままにした。