三木谷浩史の田尾安志解任が波紋を広げていて、ネットの中では即日解任反対運動の
HPが立ち上がって署名運動を始めている。解任について特に賛否を言うつもりはないが、こうなる事は4月頃から予想できていたように思われる。田尾安志は解任の決定を意外に受け止めていたようだが、このオーナーが経営者としてどういう人物かは最初からもっとよく見抜いておくべきだった。今年の開幕のときも
書いたが、楽天は戦力の整備について昨秋より全く手を着けておらず、それは観戦者の目にも実に異常だった。一瞥して言えるのは三木谷浩史の度を越えた吝嗇であり、要するに人件費支出を抑制したい一心で選力補強を犠牲にしているのである。この三木谷浩史の球団経営の発想は常識では考えられないものであり、その延長線上の未来には球団と連盟の破滅しかあり得ない。三木谷浩史は球界の従来の常識を破壊したかったのかも知れないが、その前にわれわれが言わなければならないことがあって、それは三木谷浩史が野球を全然知らないという問題である。
三木谷浩史は野球をやったことがないのではないか。見たこともほとんど無いのではないか。経験と知識が皆無なのではないか。これまでのプロ野球の歴史と各球団の経営史を理解承知していないのではないか。野球の世界を内面の中に毛ほども持っていなかったのではないか。昨年、近鉄球団がオリックスに買収されてパ連盟が五球団になろうとしたとき、堀江貴文と三木谷浩史が手を挙げ、権謀術数の政治が展開されて、周囲との摩擦の懸念の少ない三木谷浩史が選ばれた。三木谷浩史の立候補は誰かに促されてのもののようにも見えた。堀江貴文の球界参入を嫌う渡辺恒雄や宮内義彦が仕掛けた「刺客」の観があった。私は昨年から今春にかけての
記事で、三木谷浩史は渡辺恒雄と裏で密約を交わしていて、二人の狙いはニリーグ制潰しにあり、早い時期に三木谷浩史は(大赤字を宣伝しつつ)球団経営を放棄するだろうと予測したが、この見方は現在も基本的に変わっていない。三木谷浩史の今季の球団経営を見ても、これは短期で利益を回収する手法だ。
本当なら、連盟会長の小池唯夫と機構コミッショナーの根来泰周の二人が、4月から5月の早い時期に連盟事務所に三木谷浩史を呼びつけて、早急の戦力補強を指示するなり、金銭トレードを勧告するなり、場合によっては緊急オーナー会議を召集して、楽天補強目的に限定したトレードやドラフトの提案と斡旋をやってもよかっただろう。それをやるのが本来の連盟と機構の任務であり責任であるはずなのだ。ところが小池唯夫も根来泰周も全く野球を知らない素人で、渡辺恒雄の顔色を窺うしか能が無いお飾り人形であるために、連盟も機構も楽天問題に対しては無責任に傍観したまま、パ連盟の存続を懸命に支持した野球ファンの人々の心を裏切った。小池唯夫も根来泰周も、本心は渡辺恒雄と宮内義彦の意向に従ってパ連盟を潰したいのだ。機会再来を狙っているのだ。古田敦也をヤクルトの監督に据えようとする動きの背後にも、その謀略の影があるのではないのか。古田敦也をプロ野球選手会長の職から引き摺り降ろそうと、裏で手を回しているのではないのか。
古田敦也を失えば選手会は一気に力を失う。昨秋、市民がニリーグ制維持を勝ち取れたのは、一にも二にも古田敦也の偉大な
指導力の賜物である。古田敦也が選手会から離れれば、一リーグ制への動きが再び台頭して抑止することができなくなるだろう。資本力は球団経営の重要な条件だが、しかし本当はそれ以上にもっと重要なものもある。それは経営者の人格的資質であり、経営者がプロ野球をどれだけ理解し愛しているかという問題だ。文化財としてのプロ野球の意義をどれだけ正当に心得ているかという問題だ。昨秋の戦いの結果、プロ野球は国民のものであることが確定され、それは国民の文化であることが実証された。資本の宣伝道具でもなく、単なる資本財でもないことが確認された。そうした民主主義の戦いの結果誕生した新球団でありながら、その経営者は、まさに新球団誕生の意義と成果を正面から否定する経営を行っている。逆説的であり、反動的な現実だ。そこに古田敦也の師匠の野村克也が出向く事態も二重の意味で逆説的だ。幻滅する。
仙台の商圏としてのポテンシャルは広島と同等と言われている。エリアマーケティングの指標数値はそれを証明しているはずだが、広島に市民球団があるのなら仙台に同じのものがあってもよかろう。仙台市民と東北六県県民はイーグルスを楽天から買収するイマジネーションを持って欲しい。東北経済連合会と仙台商工会議所、宮城県庁と仙台市役所は、楽天からイーグルスを買収する受け皿会社を設立するべきだ。新会社のファンドのために寄付と募金の運動を起こすべきだ。債券の発行を企画してよいはずだ。市民球団を作り、市民の手で経営の舵を取るべきだ。規模を小さくしたものは各地のJリーグ球団の経験がすでにある。実例として参考になるだろう。去年のニリーグ制をめぐる戦いというのは、実はいま問題になっている公共経済主義と市場原理主義の二つの原理の角逐と闘争のドラマでもあった。昨年は市民が勝った。労組が経営に勝った(!)。今年は資本が勝った。新自由主義が勝利した。勝敗は時の運。勝負の帰趨は指導者の能力と人格による。
古田敦也が野党連合の指導者であれば、われわれは今年の政治戦でも勝っていた。