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本と映画と政治の批評
by thessalonike2


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無党派層の真実(2) - 「政事の構造」
無党派層の真実(2) - 「政事の構造」_e0079739_1433875.jpg丸山真男は『政事の構造』ので、政事=祭事とする従来からの俗説は間違いだと言っている。古代日本語の「政事」はお祭りの「祭事」とは関係なく、本当の由来は「奉仕事」にあり、すなわち日本人にとっての政治(政事)の本質は、臣(官僚)が君(天皇)に奉仕する、または奉仕を献上するところにあるという見解を述べている。政事を祭事と峻別して、その語源を奉仕事に収斂させる丸山真男の政事論は、その根拠を本居宣長の学説(「古事記伝」)に置いているようなのだが、当の本居宣長自身は、天皇が神々から奉仕を受ける「祭事」も、天皇が官僚から奉仕を受ける「政事」も、「まつりごと」として根本は同義であると言っている。「奉仕事論」の視角から日本の政治意識の本質を解き明かして行く丸山真男の議論は説得的で、何度読んでも惹き込まれて、肯首と納得と覚醒のうちにあっと言う間に論文の最後に到達してしまうのだが、最初の「まつりごと」の語義については、やはり「政事」と「祭事」は根本のところで同じなのではないだろうか。



無党派層の真実(2) - 「政事の構造」_e0079739_13532314.jpgと思うのは、まさに今度の総選挙の「政事」が、実に「祭事」だったからである。お祭りだった。開票から一夜明けた「ニュース23」の「多事争論」で、筑紫哲也が見事な総括を示してくれて、シェークスピアの「世界は劇場である、男も女も演技する俳優であり女優である」という言葉の紹介から始まって、民主主義の制度の下でたった一日だけ主権者として主役になるはずの国民が、劇場の芝居に恍惚として目を奪われたまま主役になる日にも観客になったままだったと結論した。筑紫哲也のその指摘と表現が本当に素晴らしくて、選挙結果で塞いでいた気分が一瞬晴れるほど私は感動させられた。最近の筑紫哲也には脱帽で、この男以上のコラムニストは日本にいない。知識人らしい知識人の言葉を吐ける人間は他に見当たらない。あれこそ知識人の言葉である。そして日本の民主主義の問題を考えさせられた。日本人は民主主義を自分のものにしようと努力を重ねてきてきたけれど、どこかで元に戻ると言うか、政治を祭り事にしてしまう。

無党派層の真実(2) - 「政事の構造」_e0079739_1225153.jpg800億円かけた壮大な夏祭りだった。普段は「政治が分からず」「面倒くさくて」投票に行かず、棄権を決め込んでいる無党派層が投票所に足を運んだのは、まさにお祭りに参加する気分だったのだろう。小泉首相にテレビで「賛成か反対か国民に問いたい」と人差し指を突き立てられたものだから、飯島愛やテリー伊藤が「改革賛成」神輿を担いで踊り狂っているものだから、この祭りを成就させるために、投票所まで行って「自民党」と書いて帰ってきたのである。この祭りの物語を最後まで楽しむためには、自分が投票に参加することが必須なのである。自民党に一票入れて、小泉を勝たせて、それで祭りが完結するのだ。祝祭のフィナーレが決まるのである。自分が一票入れなければ、悪役の岡田民主党が勝ってドッチラケの結末になるかも知れないのだ。参加型イベントなのであり、主役は小泉であると同時に自分でもあり、結末に自分が関与できる祭りだから楽しいのだ。そういう気分で彼らは自民党に一票入れて結果に満足して喜んだ。

無党派層の真実(2) - 「政事の構造」_e0079739_12252742.jpgお祭りを楽しんだのだ。満足を与えてくれた小泉首相に感謝しているのである。彼らにとっては「郵政民営化」など本当はどうでもいいのだ。それが本当は何なのかは詮索もしてないし深く考えてもいない。意味も中身も考えてはいない。「政策が分かりやすかった」だの「争点が明確だった」だのは、テレビタレントの全員が口を揃えて言っていることで、単に自分もその口上に便乗しているだけなのだ。いいと思ったのは自民党のマニフェストではなくて、小泉首相の演出と演技、演説と仕草のパフォーマンスなのだ。本当は自民党でも民主党でもどっちでもよく、政策の違いなど自分には関係なく、どうせ政治は自分とは縁のないもので、気分が向けば演出と演技で説得力のある方に票を入れるのだ。共産党や公明党は選択肢として論外で、自民党か民主党であれば同じなのでどっちでもいいのだ。今回はその気にさせてくれて、楽しませてくれたから小泉に入れたのである。祭り事が上手だったから、賽銭代わりに小泉に一票を呉れてやったのだ。

無党派層の真実(2) - 「政事の構造」_e0079739_12253969.jpg昔、久米宏が持て囃した頃の無党派層、「山が動いた」頃の無党派層なるものは、今回の「小泉革命」の推進機軸となった無党派層とは少し違っていて、敢えて言えば、政治に関心があり知識もあるけれど積極的に支持する政党がないために投票を棄権する無党派層の像だった。勝たせたい政党がなく、様々な理由で政治不信に陥っている国民であり、主権者でありながら主権者になれない民主主義の不条理に絶望して悶えている真摯な有権者だった。マスコミが作ったフィクションはそうだった。当時からその像は怪しげで、あまりに理念型的過ぎて、私は首を傾げていたが、現在の無党派層の実像は違う。政治についての知識と関心が決定的に薄い。ゼロに等しい。政治的知性が未熟で、呆れるほど幼稚である。嘘を見抜けない。政治家の言葉を疑う知性がなく、テレビタレントやニュースキャスターの話を鵜呑みにする。せざるを得ない。あれは利益誘導の抵抗勢力だとマスコミが決めつけるとそれを鵜呑みにする。誰も言わないが、これは実際には深刻な知識格差(教育水準格差)の問題であるはずなのだ。

民主主義(デモクラシー)とは原理的対極にある日本の「政事の構造」の問題であると同時に。
無党派層の真実(2) - 「政事の構造」_e0079739_1027405.jpg

by thessalonike2 | 2005-09-30 23:30 | 反小泉ブロガー同盟 (5)
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