志士の夢を見るにはやや枯れた年になってはいる。曹操が「駿馬は老いて厩(かいば)に繋がれても志は千里を走る」と読んでいて、いつの頃からか、その詩の気分に寄り添う自分を感じるようになっていた。けれども、本当に、何事も「隗より始め」ないと始まらないというのは絶対的な真実であり、隗より始めるためには若返らないといけない。自分はまだ若いのだと自分に言い聞かせて信じなければいけない。
「革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏僻」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちの仕事である。伊藤博文がそれにあたる」。(文春文庫 第二巻 P.148)
これは小説『世に棲む日日』の中で司馬先生が述べている革命の三世代論だが、フランス革命(Rousseau・Robespierre・Napoléon)についても、またロシア革命(Marx・Lenin・Stalin)についても妥当する普遍的な真理であるように思われる。何年か前、いま日本に必要なのは第一世代の松蔭、つまり「非業に死ぬ預言者」だと思ったことがあり、心のどこかで、自分がその役を引き受けようかと誇大妄想していたことがある。誇大妄想には違いないけれど、今の日本にどうしても必要な一人の預言者がどこからも現れない。姿を見せてくれない。けれども、松蔭の前に松蔭に影響を与えた人間が何人もいたことを考えれば、挑戦の意思を言い続けることは無駄ではないだろう。情勢は確かに煮詰まっている。煮詰まっていることは誰もが実感していることだ。この国に大きな崩壊なり転換なり変革のときが近づいていることは誰の目にも明らかで、日本人と官僚の得意技であった「先送りの自己欺瞞」の術が限界に達している。
前にコミュニストギャルのカッシーニに
説教を垂れて、政治とは君の隣にいる一人を渾身の言論で説得して、同意を調達し、同志を作ることだと言った。同意の調達と合意の形成、それが政治だと言った。が、もう一つ続きがある。それは多数を組織することだ。同意を調達し、合意を形成し、多数を組織すること。その循環が政治である。そして権力を獲得して理想と目標を地上に実現する。「世に倦む日日」の目ざす目標は「改革ファシズム」から日本を救うことである。小泉政権を打倒して新自由主義革命の暴走を阻止することである。日本経済を米国資本による植民地支配の魔手から防衛し、グローバル資本主義の侵略から解放することである。米国から独立した日本を作ることである。中産層の勤労と生活を再建し、中産層家庭の所得と教育を再興することである。日本人一般が生きる希望を取り戻すことである。日本人一人一人が、「勝ち組」でもない「負け組」でもない「普通の日本人」の自己認識と社会的立場を取り戻すことである。
「普通の日本人」として誇りを取り戻すことである。世界中から羨ましがられる豊かで生産的な理想の高齢化社会を作ることである。雇用の安定保障と市場競争力の保持を統一して実現する新しい企業原理を創出することである。高度な福祉国家を再構築することである。勤勉で節約する日本人像、浪費せず貯蓄する日本人像を再建し、一人一人が集団の中で目標を持ち、能力を開発し、個性を実現する生き方を持ち得ることである。教育に投資し、どの国にも、どの教科の成績でも負けない世界一の教育王国を実現することである。戦後民主主義の理念を情報化社会のハイレベルな次元で現出達成することである。日本のデモクラシーの理想をネット市民社会として実現させることである。アジアの指導国として日本国憲法の平和主義をアジア全体に教化伝道することである。9条の理想を国連総会で宣唱し、第三世界諸国代表から総立ちの拍手喝采を得ることである。米国の武力支配主義と対決し世界を平和に導く先頭に立つことである。
そして日本人は自信と誇りを取り戻すのだ。不況から立ち直り、財政を立て直し、中産層を蘇らせ、市場競争力で他国資本を凌駕し、米国の「帝国支配」の頚木から脱し、新自由主義とは異なる成功体験と成功原理を世界に提示証明して、アジアとヨーロッパの諸国民から賞賛と尊敬を受けるのだ。そういう日本国と日本人にすることが「世に倦む日日」の理想であり目標である。それは政治によって実現される。そしてそれは必ずできる。夢ではなく実現可能である。できないと思うのは新自由主義のイデオロギーに洗脳され、新自由主義の勢力に怖気づいて自信喪失しているからだ。日本人の自己不信を米国と政権とマスコミに刷り込まれて自己暗示にかかっているからだ。世の中に「勝ち組」と「負け組」しかないと思い込まされているからだ。新自由主義のマインドコントロールを払拭すれば日本人は必ず蘇生回復する。これから分析だけでなく政策と行動の提案と提言に踏み出そう。政治の一歩に動く。最初に「反小泉」のネットワークを試みてみる。
そこで挫折すればそれまで。隗より始める。プロテストとしての平成の尊皇攘夷運動を行動提起しよう。