先週9月29日に芝公園であった金子勝の講演「
郵政民営化から見えてくるこの国の将来」の感想を少し述べたい。正直に言って中身は非常にプアだった。何一ついいところがなかった。参加した自分が惨めな気分になり、貴重な時間と電車代を損した気分になった。実際にあの夜は阪神が巨人と試合して優勝を決めた一戦が生中継されていた。それを潰してわざわざあのような講演会の椅子に何時間も座ったのである。主催は「
郵政民営化を監視する市民ネットワーク」で、いかにもそれらしい市民団体には違いなかったが、実体はどうやら郵政公社の社民党系の労働組合のメンバーが主体で動かしている組織のように見えた。関係者の中でブログを見ている人もいるかも知れないが、率直に言って反省をしてもらいたい。同じインビテーションが届いても私は二度と行かない。口に出したくはないが「サヨク」という言葉がぴったりあてはまる。貧相で未熟で敗北的で自己満足的でセンスが悪い。
何が悪かったかはここでは具体的には言わないが、あれでは部外者をコンビンスさせることは絶対にできないよ。運動ではなく趣味だ。主催者がお粗末でも講演がよければ救われたが、金子勝の講演がそれに輪をかけて酷いものだった。金子勝は全く講演の準備をしてきていなかった。そして講演が始まると、デカい声で小泉の悪口と左翼の悪口をがなり始め、有頂天になって自分の自慢話を延々と続けた。みんな逃げて小泉に対抗するのはオレ様しかいないじゃないかとくどくどと喚き続けた。その態度があまりに驕慢で、聞いていて憤慨させられ、私は何度も席を蹴って帰ろうかと思ったが、その場は席を蹴るに蹴れない事情があり、我慢に我慢を重ねて最後まで硬い椅子に座り続けた。それでも会場の中には、左翼系の講演会に行くと(右翼系も同じだろうが)必ず目にする相槌ロボットがいて、金子勝がくだらない自慢話をするたびに「あはは」周りに聞こえる笑い声を上げていた。
金子勝が小泉や左翼や大衆を汚い言葉で罵倒するたびに「うん、うん、本当、そう、そうだ」と周囲に聞こえる声の大きさで合いの手を入れる。政治ロボット。今度の小泉圧勝で金子勝も相当にフラストレーションが溜っていて、この講演会を「自分の身内の頭の悪い連中」の集会だと思って鬱憤晴らしをしていたのだろうが、私から言わせれば、冗談じゃない、金子勝に鬱憤晴らしの罵倒を浴びせたいのはこっちの方だ。ブログを作れと呼びかけたにもかかわらず無視して何もせず、「
郵便局ファンの会」の筆頭論客のくせに選挙期間中はテレビに出て郵政民営化反対を言わず、番組に出演させろとテレビ局に押しかけもせず、ネットでもマスコミでも沈黙したまま隠れていたのは、君の方じゃないか、ふさけるなよ、と顔面を張り飛ばしたい気分だった。選挙のときに郵政民営化反対の声を上げていたのはブロガーだけだ。公職選挙法の脅迫にも屈せず戦っていたのは(一部のHPと)ブロガーだけだ。
金子勝は何もしていない。金子勝に較べればまだ森永卓郎の方が頑張っていた。新聞でもネットでも郵政民営化反対論の声を上げていた。金子勝は驕慢の極みで自己陶酔中毒に陥って理性の抑制を失っているように見えた。まあ、感情ばかり高ぶらせても仕方ないので理論の中身の方に移るが、金子勝は、例の郵貯預入限度額を示した最初の民主党案が最もラディカルな財政改革のソリューションで、民主党はそれを対案として提示しながら、自分でその政策の意味が理解できず、対案たる自信を持てずに討論で引き下がったから、自民党の郵政民営化論に対して有効に政治反撃することができなかったのだと言っていた。郵貯の資金を減らせば財政改革になると言う。金子勝は経済学者で、私はそうではないが、この金子勝の主張は私に言わせれば全くナンセンスだ。この議論は結局のところ、竹中平蔵と猪瀬直樹と古館伊知郎がずっと言い続けている蛇口論と基本的に同じ話ではないか。
郵貯に資金が貯まっているから特殊法人がそれを無駄使いする。資金をなくせば蛇口が閉まって特殊法人が無駄使いできなくなる。財政再建になる。そういう理屈として同じものである。蛇口論だ。それは詭弁だろうというのが郵政民営化反対論の主張の本筋だったはずで、無駄使いする人間がいるから税金や郵貯が無駄使いされるのであり、官僚に無駄使いさせる政権があるから無駄使いが続くのである。資金が郵貯から民間銀行や証券会社に移っても結局は同じだ。政府保証が付けば銀行は喜んで財投機関債を引き受けるだろう。政府が引き受けろと言えば引き受けるだろう。特殊法人が存続し続ける限り、事業は続いて、運営資金はどこからか調達せざるを得ない。郵貯から銀行に移っても金は金なのであって何も変わりはしない。民間市場で資金需要先がなければ銀行はそれを国債引受に回す。大企業は銀行からは金を借りない。要するに本気で特殊法人を清算する気があるかどうかの問題なのだ。
蛇口論の変形版である郵貯預入限度額論はラディカルなソリューションにはならない。それともう一つ言っておくが、最近の金子勝の話はマンネリで緊張感がなくなっている。例の「国家の借金がGNPのx倍で、これを解決するには戦争か革命かハイパーインフレしかない」の話は、少なくとも私にはもう説得力を感じられない。五年以上同じことを言ってないか。金子勝のこのヨハネ黙示録的な経済予言は、実際のところ、あまり人を納得させていないように私には思われてならない。マルクスの「過剰生産恐慌が資本主義を没落させる」予言とか、スターリンの「全般的危機論」の印象に近くなってきた。少なくとも政治的には、金子勝のマクロ破滅崩壊論よりも、猪瀬直樹の「こうやれば40兆円の道路公団の借金も少しづつ減って行って、そのことが800兆円の日本の借金の問題を解決する国民の自信に繋がるんです」の言葉の方に大衆は頷く。猪瀬直樹の方が前向きな対案を言っているように見えるのである。
最近の金子勝は、私から見て、驕慢で不勉強で思考停止的で説得力がない。
「今日、考えたこと」へ。
ごもっともなご意見です。(ブログ読者であれば)私もほぼ同感と言ってよいでしょう。「貧相で未熟で敗北的で自己満足的で」の中身を書かなかったのは、書かなかったというよりも書けなかったからで、具体的なことを書いてしまうと、本当に打撃的と言うか、主催者側から読むと「意図的に敵対的な」内容になってしまいます。主催した当人たちが主観的には真面目にやっていたことは事実であり、抽象的な表現以上には筆が進まなかった。講演会に実際に参加した人であれば、具体的な部分が何を指すかはほぼ了解していただけるのではないかと思っています。一言で言えば、話を聞く側、参加者の側の気持ちを考えてないという事に尽きます。
主催者だけでなく金子勝もそうでした。身勝手な講演会でした。選挙に勝ったうえでの勝者の身勝手や驕慢ならまだ許せますが、大敗してあのように身勝手なのは私は許せません。それは金子勝も労働組合も市民団体も同じで、金子勝だけでなく、あの労働組合の連中も選挙のときは何も郵政民営化反対運動をしなかった。労組の幹部や論客(金子・岡野)をTVに出演させることもせず、ネットで動くこともせず、私が呼びかけたような「人間の鎖」の示威行動もやらなかった。選挙前は民営化反対で大騒ぎしながら、「郵政民営化を問う国民投票の」選挙が始まった途端に、小泉政権の前で沈黙して、無関係な部外者だけに反対運動を任せていた。
私が憤るのは、勝った小泉政権以上に敗北を呼びこんだ側であり、敢えて言えば、戦わずして負けた彼らのせいで今度の改憲国会の政治的現実(三分の二超与党と翼賛民主党)が作られてしまったとさえ言える。この敗者の側の責任追及については筆をあらためて稿を立てるつもりです。岡野嘉穂留、全逓、局長会、江田五月。彼らのうちの何人かは、間違いなく政権からカネ(官房機密費)を受け取っているはずで、民営化後の局長会幹部と労組幹部の処遇について、何らか「保証」の約束をもらっているはずだと私は睨んでいます。今回の社民党系(?)の労組はそれはなかったでしょうが、彼らも8月8日の後の大事な時期は何もしていませんでした。