改革ファシズムが国民を説得する強力な根拠が、「国と地方あわせて770兆円の借金がある」という例の言説である。言説と言うより国家財政上の事実と言うべきかも知れない。人はこの
問題を新自由主義者に突き付けられると、蛇に睨まれた蛙のように萎縮してホールドアップの状態になり、そして新自由主義者の求めるがままに年金給付の権利も差し出し、保険医療の権利も差し出し、サラリーマン増税にも消費税増税にも首を縦に振ってしまう。まるで強盗に銃を突きつけられてカネを出せと脅迫されている被害者と同じだ。国家に天文学的な借金があるから国民はそれを返済しなければいけない。そのためには増税も社会保障の予算削減もやむを得ない。「痛みを伴う改革に耐えて日本を再建しよう」。そういう経済論理と政策主張の上に自分の態度をそのまま合わせてしまう。抗えないまま沈黙して、「痛み」を説く評論家の主張を無条件に認めてしまう。これは言説装置であり、催眠ガス言説であり、改革ファシズムの必殺兵器なのだ。
新自由主義の「改革」が猛威を奮っているのは、この財政危機の現実と脅迫があるからだ。これがキーである。十年前を思い出して欲しいのだが、当時はまだ「国民に痛みを要求するのならまず政府がリストラせよ」という議論が正論だった。改革を求められたのは政府の方であり、国民の犠牲はその次という順番だった。そしてその正論にひとまず従って橋本龍太郎は一府十二省庁の組織改変をやり、また行財政改革の最大の課題は特殊法人の整理統廃合だという共通認識をマスコミが宣伝して、具体的な公社公団のリストが上がっていた。その頃は官僚の天下りはもう止めさせようという話が常識になっていた。政府の改革こそが問題だったはずである。ところが、それが小泉政権になり、竹中平蔵が金融財政担当相になるに及んで、政府の側の改革の話は殆ど表に出なくなり、国民の「痛み」の話ばかりがクローズアップされ政策課題化されて行った。挙句の果てに政府の「痛み」は郵便局員が代行して引き受ける羽目となった。
小泉改革が進むとともに、政府が痛む話は隠れ、猪瀬直樹主役の道路公団の政治芝居だけに限定集約されて行き、何か改革の真似事をやっているような演出だけをテレ朝とフジの報道番組で見せて国民を納得させるようになった。猪瀬直樹が糾弾告発する抵抗勢力の悪役が巧妙に仕立て上げられ、悪役が猪瀬直樹に恫喝される場面がテレビで放送された瞬間、地検が動いて悪役が逮捕されるというような「わかりやすい」芝居に「改革」がスリカエられた。ガラス張りにされるかと思った特殊法人の実態が、逆にこの五年間で全く国民の目から遮蔽されて見えなくなり、マスコミが監視をするのを止めて逆に真実を隠蔽するようになった。どういう特殊法人がどれだけの借金を抱えているのか、その事業会計はどのような構造になっているのか、正確に数字を並べて分析したものを最近は見ていない。十年前は、それを国民の前に明らかにする経済学者が出るだろうと思っていた。だが、批評はしても数字で構造解析する経済学者は出なかった。
財政赤字の具体的な中身は暴かれないまま、官僚が隠したまま、官僚が隠すのを政権が黙認したまま、国と地方の借金が何百兆円という脅迫言説だけが一人歩きし、国民はその天文学的数字の前に武装解除され、思考停止を余儀なくされ、間断なく続くマスコミの財政脅迫プロパガンダのシャワーによって、悪いのは自分の方だとする原罪論に漬け込まれた。財政赤字の原因を作ったのも、その責任を負担するのも自分たち国民の側だとする「負け組」根性のマインドコントロールで自縄自縛するようになった。政府に「痛み」を要求する論者はすっかり消え、財界は法人税減免措置のおかげで空前の利益を上げて高笑いをしている。そしてこの間、借金が借金がと言いながら、小泉政権が整備新幹線着工のゴーサインを出すのをマスコミは咎めず、神戸空港と静岡空港が札束を投げ捨てながら整備工事されるのをエコノミストは咎めなかった。橋本政権時代は整備新幹線反対だった朝日新聞は、小泉政権になってからは何も言わなくなった。
今回は具体論ではなく総論の話で終わってしまうが、あの借金770兆円というのは、本当は新自由主義の政権がわざと勢いよく膨らませて、国民を思考停止に追い込む観念操作装置なのではないのか。財政危機と言いながら何で政府は一隻千5百億円のイージス艦を何隻も買ったり、3千億円もかけて防衛庁のビルを新設したりするのだ。神戸空港3千億円、静岡空港2千億円、関空二期工事1兆4千億円。5年前のIT革命もそうだったが、震災対策とか、テロ対策とか、狂牛病対策とか、少年非行対策とか、そういう何か社会問題がマスコミで報じられる度に各省庁はそれを「特需」として新規予算を(国債でファイナンスして)ぶん取り合う。そういう構造は何も変わっていない。そして政府発注の公共事業は実際の原価をはるかに超える天下り談合価格になり、それが当然のように見過ごされている。タカリの構造は変わっていない。私は借金は返せると考えている。返せないと思い込まされているのだと思う。次回からその根拠を示すつもりである。
改革ファシズムに対抗するためには、この「日本の借金770兆円」の脅迫言説のイデオロギー性を暴露し、すなわち言説解体して、国民を思考停止状態から脱させることが必要だと思うからだ。