昨夜のNHKの7時のニュースで前原誠司と小泉首相の党首討論の様子が放送されて、靖国問題についての応酬を垣間見たのだが、お話にならないほど粗末で矮小な討論だった。党首が菅直人だったら、もう少し追及する絵を見せられただろうが、前原誠司にはそもそも靖国問題についての知識や関心がなく、それが日本の政治の重要問題であるという認識がない。昨日の討論は、例によって自民党支持者に対して自分も政権を翼賛する仲間であるという宣伝に終始した。今日の朝日新聞の社説は、記事そのものは一生懸命に前原誠司を褒めてやっているのだが、社説を書いた当人は恐らく歯痒い思いで国会中継を眺めていたに違いなく、その気持ちが社説の冒頭にあらわれている。読めばわかるが、まさに記事に書いているとおりで、小泉首相が憲法19条の個人の思想信条の自由を持ち出して靖国参拝を正当化したなら、即座に憲法20条の政教分離の原則で切り返して反撃しなければならなかったのである。
例えばこんな具合にだ。
「総理、総理は今、憲法19条の思想信条の自由を根拠にして靖国参拝を正当化されましたが、それじゃお聴きしますが、19条の次の20条3項に何が書かれているかご存知ですか、お答え下さい」。こう切り返せばよかったのだ。そしてそこで小泉首相がはぐらかしの詭弁問答に出てきたなら、すかさず、
「総理、総理は憲法20条についてご存知ないようですが、これは中学校3年生の公民で教わる国民の常識ですよ」と畳みかけて、先月30日の大阪高裁判決の話に持ち込んで行けばよかったのである。小泉首相は間違いなく立ち往生しただろう。この男には憲法の知識がなく、一対一で憲法論議をやったら、言い逃れができなくなって必ず論破される。政府は、小泉首相の靖国参拝を憲法が禁じる宗教的活動と認めた先の大阪高裁の判決に対して、上告せず判決を確定させている。この判断は行政府の最高責任者である小泉首相の意思決定であるはずだ。不服なら上告すればいい。
公的参拝ではなく私的参拝だから合憲だと訴えて上告審で堂々と争えばよかった。上告せずに判決を確定させたということは、政府が首相の靖国参拝を違憲であると認めたことに他ならない。であるならば、靖国参拝を違憲行為だと認めた上告断念と靖国参拝決行とは矛盾する。二つは同じ17日の出来事である。その矛盾を衝いていけばよかった。党首討論だから内閣法制局の法務官僚に答弁を振ってその場を逃げることはできない。自分の言葉で答えなくてはいけない。立ち往生するしかない。矛盾を公然と指弾されて、説明に詰まり、何も言えなくなって赤恥をかいただろう。靖国問題の討論で小泉首相を追い詰める場面を国民に見せたいのなら、野党党首は当然この大阪高裁判決を論点にして弾劾すべきであり、これ以上有効な論戦の武器はない。にもかかわらず前原誠司はそれをしなかった。それどころか
「誰が(参拝しては)いけないと言いましたか」と奇妙な方向に話を向けて結果的に小泉首相を逃がした。
小泉首相も憲法の知識がないが、それ以上に前原誠司にも憲法の知識と素養がないのだ。憲法や法律を使って論理を組み立て論敵を追い詰めるということができない。バカである。政治家として失格だ。恐らく前原誠司の頭の中では、靖国問題は憲法問題ではなくてイデオロギー問題なのである。憲法問題をイデオロギー問題だと錯覚している。その二つの区別ができていない。憲法問題という範疇が頭の中にない。前原誠司は高坂正堯に国際政治学を習ったのだが - 悪口を言って恐縮だが - 京都の法学部というのは東京に較べて本当にレベルが低い。憲法をまともに教わっていないのがよく分かる。憲法論議ができない政治家が政党の指導者をやる資格はない。前原誠司は憲法20条がなぜ国の宗教活動を禁じているか、その意味を理解できていないだろう。この男は基本的に小粒の政治官僚で、予算や外交なら小賢しく口を出せるが、憲法や国家を論じる政治家の器量がない。政治哲学を持っていない。
大事な憲法論議ができないまま小泉首相を窮地から救って、その直後にこの男はこう言った。
「ポケットから賽銭出してチャリン。こんな不謹慎な話はない。むしろ亡くなった方に失礼だ」。右翼方面へのウケを狙って一生懸命考えた末の論難演出だったのだろうが、バカじゃないか。普通の人間なら神社へ行ってお参りするときは小銭を賽銭箱に投げ入れているんじゃないのか。初詣のときは誰でもそうしているだろう。賽銭をチャリンと出すと神社の祭神に不敬で不謹慎だとでも言うのか。それとも、神社への賽銭は何か熨斗袋にでも包んで宮司に手渡すのが作法だとでも言うのか。それとも、靖国神社に総理大臣が参拝するのだから、きちんと神道形式に則って玉串料を捧げて、清めと祓いを受けて、本殿まで上がって御柱に敬礼しろとでも言うのか。右翼の票が欲しいのか。昨日の前原誠司の話は小泉首相に対する追及にも批判にもなっていない。哲学と憲法論を持たない政治官僚の小僧には野党第一党の党首は無理だ。
議員を辞めて、もう一回大学に戻って、宮沢俊義の憲法概論でも勉強し直せ。
この高裁判決は政府側勝訴の判決なのだから、勝訴した側が上告することはできないのではないかというメールが私のところに六通ほど寄せられているのですが、無論、勝訴していても上告はできます。今回の訴訟について言えば、形式的には提訴した原告が損害賠償を請求したものですが、実質的には総理大臣の靖国参拝の違憲性を問うものであり、小泉首相の靖国参拝が合憲か違憲かを裁判所に判断させる訴訟であったことは言うまでもありません。違憲判断の獲得こそが本当の政治的目的です。
訴えの形式的な目標である「精神的苦痛の認定と損害賠償」については原告は敗訴しましたが、実質的な狙いである憲法判断のところでは原告側が勝利しました。つまるところ事実上の勝訴判決の結果です。靖国参拝について憲法判断で違憲判決を出された国側は、当然ながら上告して最高裁で合憲判決を勝ち取らなくてはいけないわけですが、それをせず、高裁判決を受け入れたことは、すなわち総理大臣の靖国参拝が違憲であるとした高裁判決を裁判所の判断として最終的に認めたことになります。
民事訴訟法 第312条
上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。
ですから、下のような新聞記事が出るのです。法的に上告が不可能であれば、このような新聞記事が出るはずがありません。高裁判決が出た三週間前に終わった話です。政府側が上告するかどうか、皆、固唾をのんで見守っていたわけです。政府が上告を断念したのは、上告しても上告が退けられる可能性の方が高いからで、それをやると総理大臣の靖国参拝の違憲性が決定的になってしまうからであり、争わずに引き下がったということでしょう。要するに負けは負けです。政府側の敗北と言えます。
朝日新聞 10月18日 「首相の靖国参拝訴訟 大阪高裁の違憲判決、確定」