借金は返せると考える根拠を三点ほど紹介してきた。ブログの読者の一人からメールを頂戴して、今は借金を無理に返すデフレ政策(緊縮財政政策)ではなく、むしろリフレと財政出動を組み合わせてデフレ退治をする方が先決であるという主張をうかがった。最近はあまり聞かなくなったが、私の理解では野村総研がこの立場だったような記憶がある。植草一秀は個人消費を回復させるための積極財政を唱えていた。国の借金の問題については、竹中平蔵と石弘光の消費税増税と人頭税導入の二極化政策で解決を図る新自由主義路線があり、金子勝の「戦争か革命かハイパーインフレか」の清算主義的思考態度の立場があり、そして第三のリフレと財政出動を説くデフレ退治の野村総研路線がある。立場は三つに分かれる。第三の立場は、国家の借金は家計の借金とは性格が違うのだとするエコノミクスだが、私は、国の借金は国民が返さなければならないしそれはできると説く猪瀬直樹の議論の方に納得している。
嘗て日本の経済政策のリーディングプランナーだった野村総研は、特に例の事件の後、見る影もないほど凋落してしまった。野村総研は追い落とされ、
慶応経済フリーメーソンが国家権力の中枢を乗っ取った。管制高地を押さえ固めた。例の事件を陰謀だとは思わないが、植草一秀を早く復活させてやりたいと私は思う。あのような優秀な頭脳とグッドなルックスはそれほど多く得られない。人間には誰でも過ちの一つや二つはある。
性趣味には常識と人知を超えた個人差がある。山崎拓の性趣味には逮捕も追放も下されないのに、植草一秀の性趣味には厳罰が与えられている。植草一秀に敗者復活戦の権利を与えるべきだ。財政出動論と野村総研の凋落を思いながら、梶山静六の顔を思い出してしまった。梶山静六が生きていたら、郵政民営化など絶対に阻止していただろう。昔は梶山静六的な政治家像が悪に見えたが、今はすっかり印象が変わった。梶山静六や野中広務のような政治家こそ理念型に見える。
借金は返せると考える第四の根拠、それは若年と中年の男たちが職を追われて働いてない現在の日本の現実である。最も生産力のある労働力が仕事をしていない。社会の生産に携わっていない。失業者として職場から放逐されている。あるいは余剰人員として窓際の絶滅収容所に押し込められて、解雇のガス室入りを待っている。そういう中年男性が何百万人もいる。だから国民総生産も増えず、国民所得も増えず、税収も増えないのである。生産を縮小し、労働者人口を減らしているのだから、国家の税収が増えるはずがないではないか。不景気だから、当然、法人税も減る。新自由主義者は国民経済を意図的にシュリンクさせているのであり、生産と消費のグロスの規模を縮小再生産させているのだ。縮小再生産させながら二極分解を進めているのであり、そもそも日本経済を拡大循環させようという政策的な発想がない。国家財政の借金は膨らませながら、それを生産と所得の拡大で問題解決しようという思想がない。
それまで年間2万人台で推移してきた日本の自殺者数は、金融危機後の企業のリストラと倒産の影響で中高年男性の経済苦自殺を急増させ、98年から年間3万人台にハネ上がった。死なずともよい、能力のある人間が年間1万人も自殺に追い込まれて、この10年間で10万人が犠牲になった。新自由主義者による合法的な大量殺戮だと私は思うが、彼らが死なずに生きていたら、一体どれくらいの経済価値を10年間で生産していただろう。
完全失業者数は91年には136万人だったのが、03年には350万になり、2.6倍に増えている。働いて所得を得て所得税を国に納めているはずの200万人が働いていない。完全失業者の数に入らない事実上の失業者の数も加えれば、その倍以上に増えるだろう。国庫の
所得税の減少の推移と失業者の増加の推移とはまさに逆比例の形で連動している。91年には27兆円あった所得税収が04年には13兆円に半減している。失業者数はそのまま喪失所得税収納額である。
バブルの頃の所得税27兆円が大きすぎる数字としても、せめて20兆円の所得税収は日本経済として維持できて当然だ。7兆円の所得税収入が新自由主義者の失業者拡大政策のためにロスされている。
税収全体で見れば、03年の総額は48兆円、04年は35兆円、13兆円も減っている。消費税収入が税率アップで倍に増えながら、全体の収入で減っている。消費税収が倍増している点を考えれば、現在の国家財政の収入規模は45兆円程度あってよいのだ。それを満たす所得税収と法人税収が入ればよいのである。人がきちんと働けば年間10兆円の税収が増える。770兆円の借金を77年間で返せる。企業に人員削減を奨励するのではなく、雇用促進を動機づけなくてはいけない。人が正規に雇用され所得を得ている経済社会を当然視し、それが達成実現される経済政策を実行しなくてはいけない。ソニーが1万人削減と言ったら、経済産業大臣が品川の本社に乗り込んで行って、「それはやめとけよ」と制止するのだ。
雇用確保と安定所得を第一に考えて、そこからあらゆる産業政策を立案遂行するのである。政権が正規雇用労働者数の目標値と達成計画を作って国民の前に公約するのだ。首切りをしたら株価が上がって喜ぶ社会と政府はやめる。株で儲けるのではなく、汗を流して労働で稼げ。