靖国問題を論じるとブログのアクセス数が跳ね上がる。アクセスの増加は、第一義的にはブログの価値を増すものであり、ブログの著者は、この価値増殖期待の誘惑の前に容易に禁欲的態度を貫徹することができない。ネット右翼の主張によれば、先の大阪高裁の判決は
違憲判決ではないのだそうだ。その理由は、高裁の判決文の中の違憲判断の件(くだり)が、判決の主文ではなく傍論として記述されているからだと言う。法律学などとは無縁なネット右翼がこのような法律論の詭弁を捏ねくるのは奇妙だなと訝しんでいたら、出所は産経新聞の記事とテレビタレントのお笑い芸人弁護士の暴論のようである。タレント弁護士によれば、傍論は単に裁判官の個人的見解が主張されたものに過ぎず、判決には無関係な「寝言」に等しいものだと言う。司法の責務を自覚して誠実に憲法判断を下した大阪高裁の裁判官団は、このタレント弁護士の暴論に怒り心頭のことだろう。図に乗ったネット右翼は、この
違憲判決には法的拘束力は何もないなどとプロパガンダしている。
滑稽きわまる。今回の訴訟は、形式的には精神的苦痛の損害賠償を求める民事訴訟であるから、憲法判断が直接に主文に示されるはずがない。主文に関わる判決理由においても、精神的苦痛の事実が認められるか否かとか、その責任が国にあると認められるかどうかの判定が中心であって、憲法判断の問題は直接には関係ないだろう。そもそも原告側が求めているのは裁判所の憲法判断であって、それを主文に記載する判決形式を求めているわけでもないし、また一人一万円の賠償金の支払を目的にしているわけでもない。判決文の中で憲法判断(
違憲判断)が示された事実が重大なのだ。もし仮に、今回の判決で大阪高裁が小泉首相の靖国参拝に対して合憲の判断を下していたとしても、その憲法判断は判決文の中の傍論において示されている。その場合でもネット右翼やタレント弁護士は、その合憲判断を裁判官の「寝言」だとか「私的見解」だとか「喋りすぎ」だとか言うのだろうか。狂喜して大阪高裁の裁判官を絶賛しているのではないのか。
判決文は判決文だ。裁判所の判断であり、判例として厳然と残る。ネット右翼はこの判決には法的拘束力は何もないと声を涸らして絶叫するのだが、果たして本当にそうだろうか。確かに今回の
違憲判決が出たからと言って、小泉首相が次に靖国神社に参拝したら逮捕されるとか、議員を失職するとか、誰かに損害賠償責任を負うということはない。だが、この
違憲判決は高裁レベルでの靖国参拝の違憲判断としては最初のものであり、当然ながら、今後の靖国訴訟の下級審に判例として影響を及ぼす。靖国訴訟はこれで打ち止めではなく、続々と各地の市民から提起されて何度も法廷で争われることだろう。今回の高裁判決の判例としての意義は大きい。将来の靖国訴訟は今回の判例によって否が応にも拘束される。また、17日の小泉首相の靖国神社参拝は、本殿に上がらず、玉串料を捧げず、ニ拍手一礼の神道形式を採らなかった点で、政教分離を強く意識したものであり、すなわち大阪高裁の
違憲判決に拘束されて従来の参拝方式を後退させたものである。
政府はこの
違憲判決によって十分に拘束されている。さて、二点目の問題は「上告が可能か否か」の問題だが、前に民事訴訟法の第312条で示したとおり、判決の憲法判断を不服として上告する権利は原告被告双方に認められている。政府はその権利を行使せず上告を断念する決定をした。上告を断念した時点で高裁判決を受け入れる意思決定をしたということであり、すなわち大阪高裁の違憲判決を認めたということである。上告しても「上訴の利益」論で上告が棄却されるからという理由づけは、単に上告断念と違憲判決容認の意義を希釈する方便にすぎない。もし最高裁が「上訴の利益」論で政府の上告を棄却したとすれば、そのときは、法務大臣なり官房長官が最高裁を非難する政府談話を発表すればよいのだ。最高裁判所は憲法判断をする司法責任を持った裁判所である。最高裁が「憲法の番人」であることは中学3年の公民で習う社会の常識である。「上訴の利益」論で姑息に憲法判断を回避する最高裁の無責任な態度こそ問題なのだ。
私は法曹界の人間でもなく憲法学の専門家でもない。他に大阪高裁の
違憲判決を支持する言論がネット上にないので、ネット右翼の下劣な誹謗中傷攻撃を一身で引き受ける大役を偶然に拝命したわけだが、本来なら、
こことか
ここの人間がブログ上で今度の高裁判決の司法解説を引き受けて、ネット右翼の無知蒙昧を諭し、最低限の法律知識を啓蒙してやるべきなのだろう。最高裁の憲法判断回避や小泉首相の靖国参拝決行も遺憾だが、それ以上に、法曹界の専門家が正しい司法認識を世間に示そうとしない現実に対して、彼らの臆病で卑怯な態度を私は強く遺憾に思う。政教分離の原則を国に守らせるためには、単に裁判所の憲法判断があればいいというものではないだろう。法曹界の人間自身が国に憲法を守らせるべく行動しなければならないはずだ。誰もそれをしないから、一般市民が勘違いをして「上告はできない
はずだ」とメールを寄越してくる。「事実上不可能」と「法的に不可能」とは違う。政府は上告できた。政治的理由で仕方なく断念しただけだ。
憲法第81条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。