政府が大阪高裁の違憲判決に対して上告を断念した判断については、恐らく政府部内でも両論があって、内閣法制局の中には上告すべしという意見もあったのではないかと私は推測する。上告して「上訴の利益」論で棄却されるのと、上告せずに違憲判決を受け入れるのとでは、政府決定として全く意味が異なる。政府が小泉首相の靖国参拝を私的参拝であると言い、その正当性と合憲性を強く主張するのなら、最後まで国民の前で態度を首尾一貫させて、上告審で憲法判断を問い争う選択をすべきだった。どのように「上訴の利益」論の自動棄却の法理強制で上告断念を合理化しても、所詮、断念は断念であり、自ら違憲判決を受け入れた事実には変わりない。そうした既成事実を恐れて、政府部内では「門前払い」の政治的打撃を覚悟で上告すべしという声もあったはずである。政治的には痛手が小さくて済むが、法的には具合の悪い既成事実ができる。
何と言っても今回の高裁レベルの違憲判決は政府にとって初めての事態であり、すなわちここでの政府決定は前例になる。上告か断念か、内部では議論があっただろう。何より法制局の法吏たちの頭を掠めたのは、国会の政府答弁の懸念であったはずであり、そこで今回の上告断念をどう説明するか、政府としてどう合理化して質問者を納得させられるかを配慮したことだろう。端的に言って、「総理はなぜ上告しなかったのか」と予算委で質問されたときに、小泉首相は何と言って答弁すればよいのか。「上告断念は違憲判決を認めたということでいいのだな」と突っ込まれたら、政府は反論できる法的立場がないだろう。違憲だと認めていないのなら上告の決定が当然で、あとは結果がどうあれ最高裁の判断に委ねればよい。政府の上告断念は姑息で日和見主義的であり、本当なら右翼はこの決定に対して猛然と憤慨しなければならないはずだ。
皇国史観を神聖視し、靖国神社を絶対視し、総理大臣の靖国参拝を当然視する右翼の人間であれば、政府に断固上告すべしと檄を飛ばすのがむしろ当然であって、政府の上告断念決定を屁理屈を捏ねて支持したり、正当化したりすべきではない。最近のネット右翼は、往年の左翼崩れのような腐った詭弁と詐術で小泉政権の行動を丸ごと正当化して燥いでいる。右翼の矜持がなくなった。三島由紀夫が見たら嘆くだろう。右翼というのは現日本国憲法体制下においてはアウトローなのだ。アウトローが自分の政治行動を日本国憲法で合憲化してもらおうなどと本末転倒した考え方であろう。憲法を否定している右翼の主張は全て違憲でよいのである。右翼が靖国参拝を合憲化したいと思うのなら、詭弁を弄するのではなくて憲法を変えればよいのだ。憲法20条3項の政教分離の原則を削除して、そこに「国の宗教は国家神道とする」と書き直せばよい。
そうすれば堂々と首相も閣僚も靖国参拝ができる。詭弁の前に憲法改正をやれ。ところでネット右翼に面白い話を聴かせてやろう。例えばこんな話はどうだ。熱心な信者の国交大臣が大臣室に黒の鶴の仏壇を持ち込んで、毎日昼休みに「お勤め」に励んでいたとする。読経を上げると精神が浄化されて職務がはかどる。「どうだ君らもやらんか」と事務次官レースを争っている四人の部下の局長に昼休みの「お勤め」を薦めたとする。大臣の考課が欲しい局長たちは争って局長室に仏壇を買い込み、昼休みの読経に精出すようになる。局長人事の考課が欲しい部下の課長たちが、局長だけにそれをやらせるのは忍びないと、課長席にミニサイズの仏壇を置いて昼休みの読経にお付き合いするようになる。すると課長人事の考課を争う課長補佐たちが我先にと率先して仏壇を机の上に置いて課長の読経励行に右倣えする。若い主任たちも上に倣う。
かくて国交省の昼休みは轟々たる「南無妙法蓮華経」の大唱和で包まれ、荘厳な宗教的空間の中で国土交通行政が執務遂行される事態となる。さてネット右翼の諸君は、この恐るべき事態に直面したとき、何をもってこれを阻止するのか。どういう法的根拠において国交省の宗教化を制止できるのか。国交相が「個人の思想の自由の問題だ」と開き直ったとき、果たして何を根拠にそれは違うと言えるのか。そして市民がこの国交省宗教化に精神的苦痛を受けたと訴え、国を相手に民事訴訟を起こし、裁判官が憲法20条の政教分離の原則をもって国交省の勤行を違憲であると判決したとき、君らネット右翼は、その判決の違憲判断は傍論に書かれたものだから、裁判官の寝言であり、喋りすぎの個人的見解であり、法的拘束力は何もないと主張するのか。違憲判決を受けた国が上告を断念して判決が確定しても、違憲判決は確定してないと嘘をネットで撒き散らすのか。
無い頭を回してよく考えろ。最後に奮発して「世に倦む」政治予想を一つ。小泉首相は来年8月15日に靖国神社に参拝する。私の政治予想をチェックする趣味のネット右翼がいるらしいので、この予想をネット右翼に覚えてもらって、予想を外したときの揶揄ネタに使ってもらうこととしよう。それにしても、靖国問題への論及はブログの価値 -
- を激しく増殖する。