共産党は党名を変えるべきだという考えは、私の場合はここ五年間ほどのアイディアであって、それ以前はそうではなく、共産党はその名前で長い歴史を背負っているのだし、伝統を固守するのは悪いことではないのではないかという立場だった。共産党という名称の政治的存在が無くなってしまうと、日本の政治に穴が空いたような感じになって、緊張感が喪失しそうな予感がしないでもない。私が党名を変えた方がよいと思う根拠は、そうした方が有権者の政治心理の中に根強くある共産主義への拒絶感や警戒心を解いて、選挙において有利な結果を導けるのではないかという効率や得策の問題もあるが、それ以上に、もはや現在の共産党そのものが政治理念として共産主義を戴いておらず、共産主義の理想を地上に実現しようという動機を持っていないという観点からである。末端の党員は勿論、最高幹部でさえも、共産主義への信仰を内面に保持している者はいないだろう。自分は共産主義者であると堂々と人前で公言できる人間が果たしているだろうか。
共産主義の普遍性を人に説得できる幹部がいるだろうか。党の指導者である不破哲三でさえそれは至難の業なのではないか。志位和夫が共産主義の説教をしている場面を私は見たことがない。共産党の存在意義は、もっぱら現実政治における政策や立場の妥当性によって確保されているものである。人々が共産党を支持する理由はそこにある。小泉政権の反動政治と新自由主義革命に対する対決姿勢においては、共産党が最も雄弁で力強く、他に較べて確固たる存在感と信頼感がある。その点は立派であるし、だからこそ共産党は、競争上致命的と言える最悪のブランドシンボルを引き摺りながら、なお五百万からの票を集め取ることができるのである。しかし現実政治において正しい主張を貫徹しているからと言って、それが直ちに共産主義の正しさを弁証するものではなく、共産党の支持に結びつくものではない。共産党とは共産主義者の党である。もし幹部が自分は共産主義に自信を持てないと思ったならば、すぐに党名変更を提起するべきだ。
共産主義者として自己を確信できない人間が人に共産主義を説得できるはずがない。共産主義が人を説得できないのは、それが世界史的に敗北した思想だからである。共産党がすべきことは、まず共産主義が敗北したという歴史的事実を認めることだ。この思想はヨーロッパで勃興し、20世紀に世界を席巻し、戦後は世界の地表と人口の半分を支配したが、二十一世紀の今日、いわゆる共産主義国は死滅した状態にあり、それが復活する気配は微塵もない。世界の過半を占有したイデオロギーが凋落と敗北に至ったのには大いなる理由がある。われわれはその敗北の目撃者として現代史に立ち会った。われわれは世界史の目撃者であり、その記憶は未だ生々しく、事実をありのまま証言することができる。見たものは真実であり否定できない。敗北を敗北ではないと抗弁することはできない。どれほど理屈を重ねても共産主義を正当化したり普遍化するのは不可能だ。その営為は空虚な詭弁にしかならず、観念的妄想にしかならない。共産主義を捨てることだ。
現在の日本共産党の基本政策は、一言で言えば、社会民主主義の思想に基づいたものである。マルクス・レーニン主義ではない。社会民主主義の路線で政策主張しているのだから、名前も社会民主党でよいではないか。何の不具合があるのだろうか。その方がネガティブな悪魔的表象から脱して、国民から多くの支持を集められるのなら、一刻も早くその決断をすべきではないのか。共産党が実質的に共産主義の党から社会民主主義の党に変わったのは、決して最近の出来事ではなく、恐らく半世紀に近い長い歴史がある。そもそも不破上田兄弟は当時の構造改革路線の旗手であり、宮本顕治が二人を抜擢重用したのもそこに理論的端緒がある。構造改革路線は社会主義の中でも社会民主主義の考え方であって、ボルシェヴィキ型の暴力革命路線の否定である。レーニン主義ではなく
グラムシ主義である。六全協後の宮本顕治の議会路線は、すなわち野坂参三の「愛される共産党」路線の継承そのものであり、戦前と朝鮮戦争時の武装蜂起路線との決別だった。
その時点から社会民主党を名乗っても原理的に不都合はなかったのである。先進国の中で最大勢力を誇っていたイタリア共産党は、ソ連崩壊と冷戦終結の後、党名を左翼民主党と変更して「オリーブの木」の主力となった。イタリアの真似をする必要はないが、十五年前、日本共産党がペレストロイカや冷戦終結の際に見せた時代錯誤な保守主義に私は絶句させられた記憶がある。共産党はゴルバチョフを非難し、世界中が同情したその失脚をむしろ「ざまあ見ろ」と喜ぶような素振りを見せていた。ロシアに史上初めて民主主義と基本的人権を齎し、この世界を不毛なイデオロギー対立と核戦争の恐怖から救ったのはゴルバチョフだった。ゴルバチョフは二十世紀で最も偉大な政治家である。私はそう確信している。共産主義は敗北すべきだったし、敗北してよかったのだ。ゴルバチョフは世界の共産主義教会の法王の玉座に座っていた男である。法王自身が共産主義の負性と歴史的
寿命を知り尽くしていたのだ。日本共産党のやっていることは、明が滅びた後に中華は朝鮮に移ったと唱え、その教義を信じ続けた李朝の朱子学者と同じなのだ。
党名変更は理論の問題ではない。議論の積み重ねは必要ない。指導者が一存で決断すべき問題だ。