テレビの歌謡番組を見ていたら、あのアイシャが出てきて父親の横でマイクを持って歌っていた。アルバム『キー・オブ・ライフ』の発表が1976年だから、画面に映ったアイシャは三十歳ほどの年齢になっている。番組制作者の粋な演出に驚き、思わず感激してしまったが、父親にとってアイシャはあの曲の間奏に録音を入れたときのゼロ歳児のままであり、可愛くてたまらないのは昔も今も同じだろう。私にとって
カッシーニはバスルームでキャキャキャと戯れるアイシャと同じであり、ニコニコと笑いながらシャンプーしてあげて、耳にお湯が入らないように注意して、シャワーで頭を洗い流してあげる愛娘である。私が共産党に党名を変更せよと言っているのは、単に党の名前だけを変えればよいと言っているのではない。当然、綱領から「共産主義をめざす」部分を削除しなければならない。政党名には政党のめざす理念が掲げられる。共産党が党名を社会民主党に変えるということは、すなわち共産主義の目標を捨てるということである。
党名変更と同時に綱領改訂を実行して、資本主義の枠内で体制内変革を積み重ねて社会民主主義の理想を実現する党に生まれ変わらなければならない。カッシーニが説明してくれる二段階革命論はまさに釈迦に説法だが、もう二段階革命論を唱えたり掲げたりする意味はないのだ。カッシーニは党綱領のレクチャーを受けたとき、三十二年テーゼの話は聞いただろうか。常識的に考えれば、いくら党の公式パンフレットでも二段階革命論について講義するときは三十二年テーゼに触れなければならないし、当時の日本資本主義論争について概略を説明しておかなければいけないはずだが、見たところ、カッシーニにその知識があるようには窺えない。二段階革命論はコミンテルンが日本支部である日本共産党に指令した当時の革命戦略理論であり、その発信元はスターリンである。現在の共産党が「覇権主義」と呼び「歴史的な巨悪」と呼んでいるソ連共産党から指令提供された革命理論を、日本共産党は戦後も後生大事に抱え続けた。
真相を知れば噴飯ものの話だが、戦前はともかく、戦後までずっと三十二年テーゼを神棚に飾って拝み続け、ソ連崩壊後の今日までそれを自己の政治綱領の中軸に据えている事実は、この時点で省みてあまりにも馬鹿馬鹿しく寒々しい。教条主義とはまさにこのことである。戦後の二段階革命論は、特に60年代以降はほとんど意味を失っていて、単に社会党(左派)と自己を区別するアイデンティフィケーションの正統証明書にすぎず、さらに言えば、単なるエリート主義のレゾンデートル・シンボルであったにすぎない。戦後の社会党だって日米安保破棄を主張していた点は同じなのだ。今日、すでに(論敵であった)一段階革命論の政治勢力は絶無なのだから、二段階革命論の存在意味はないのである。三十二年テーゼと二段階革命論については、文献はいろいろあるが、とりあえず石堂清倫を読むことを薦める。季刊『窓』のインタビュー記事が最もよいが、入手が難しいだろう。平凡社の文庫で『
わが異端の昭和史』が出ているから下巻に目を通すといい。
十年ほど前、谷沢永一が急に三十二年テーゼについて騒ぎ始め、それが藤岡信勝や渡辺昇一の「東京裁判史観」批判プロパガンダに繋がって、「つくる会」運動を盛り上げた事件があった。谷沢永一は司馬史学と自由主義史観をブリッジした曲者だが、予想したとおりと言うか、藤岡信勝と右翼雑誌上で喧嘩をおっ始め、そのあと「つくる会」は司馬史観(の政治利用)から巧妙に離れた。現在、谷沢永一には
反小泉ブロガー同盟への参加を呼びかけてよいだろう。カッシーニより何十年か長く生きてきた私の現在の研究成果から言えば、三十二年テーゼ(二段階革命)も、コミンフォルム批判(武装闘争)も、日本のコミュニストの内部を撹乱して、日本の中にコミュニズムのカリスマが出現するのを阻止して、日本のコミュニズムの組織と運動をソ連共産党に隷属させておくための政治謀略である。スターリンは福本和夫や野坂参三が毛沢東のようになるのが嫌だったのだ。常に日本の共産主義者に最も過激で先鋭な革命路線を選択するように誘導した。
そして日本で革命の内乱を起こすべく仕向けたのであり、同時に日本の既存の共産党組織を壊滅させようとしたのである。一度壊滅させて、その後でまたソ連共産党主導で自分の息のかかった新しい党を作ればよいと考えたのだ。スターリン批判ができなかったスターリン存命時代の日本の共産党の人間は、常にスターリンの意向に従いながら、スターリンの権威に依拠しながら、自分が党中央の権力者にのし上がり、同時に何とかスターリンから相対的に独立しようと四苦八苦した。福本和夫もそうだったし、宮本顕治はその戦後の悪戦苦闘の中心人物だった。宮本顕治の「国際派」の不思議の謎解きはそこに真相がある。現在の共産党を見たとき、こうした共産主義のイデオロギーをめぐる理論問題については一切を不破哲三が引き受け、志位和夫にはその責任を分担させていないように私には見える。これは一見すると、不破哲三が科学的社会主義の法王として君臨して教義解釈を独占しているように見えるが、もう一つ別の見方も可能であるように思われる。
すなわち、あるいは、不破哲三は日本共産党の党名と共産主義の綱領と科学的社会主義を自分一身のものとひそかに覚悟していて、志位和夫への禅譲と同時に、社会民主主義政党への離陸敢行を予定しているのではないかという予測である。そう思わせるほど志位和夫は共産主義イデオロギーからは遠く、疎く、マルクス主義の古典解釈なども受け持っていない。現実政治のみに神経と精力を集中させている。昔は宮本顕治の下に榊利夫などのイデオロギー官僚を配置して、ソ連科学アカデミーのMEGA官僚の真似事をやっていた時期があった。今はその仕事は不破哲三単独のものになり、それも政治任務上と言うよりも、むしろ学問研究的性格の方が強くて、悪い表現で言えば「趣味者」的な印象が濃い。ソ連崩壊後の共産主義は、老齢の共産主義者たちの思いとは裏腹に、どんどん趣味者的なものになっているのである。それは恐らく米国共産党もそうだろうし、英国共産党もそうなのではないか。現実政治への影響力を持たない博物館政党化。
仮に不破哲三がそうしたロードマップを持っているとして、そのロードマップの中身は結構なのだが、われわれはその時間を待てないのである。スケジュールを前倒しさせないといけない。改憲が目前に迫っている今、不破哲三のロードマップの履行を悠長に座視しているわけには行かない。すぐに社会民主党に党名変更し、綱領を改訂し、不破哲三はどこか三田か馬場か四谷あたりの学舎に招聘されて政治学教授に収まるべきである。最後に、共産党の党名変更は共産党自身の問題だからわれわれ外部の者は口出しする権利はないという声を一部に聞いた。それでは聴くが、民主党が改憲政党になるのは民主党の自由だから、われわれ国民には民主党の基本政策の変更に口出しする権利はないのか。自民党が消費税率を20%にする税制方針を政策化するのは自民党の勝手だから、われわれ国民は自民党の政策決定に口出しする権利はないのか。国民のために政党があるのであって、国民が政党のためにあるのではないだろう。自らの福利実現のために政党を利用し、政党に変化や転換を要求するのは主権者である国民の当然の権利ではないのか。