つまり、労働が分割されはじめるやいなや、各人は活動の特定の排他的な領域をもち、その領域が彼におしつけられ、そこから彼は抜けだすことができない。彼は、狩人、漁師、牧人、あるいは批判的批判家であり、そして、彼が生活の手だてを失いたくなければ、そうでありつづけなくればならない。-他方、各人が活動の排他的な領域をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を発達させることができる共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、そして、まさにそのことによって私は、今日はこれをし、明日はあれをするということができるようになり、狩人、漁師、牧人あるいは批判家になることなしに、私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をするということができるようになる。
上は共産主義のユートピア像を語っている『ドイツ・イデオロギー』の中の一節である。
真下真一訳の国民文庫版だとP.63-64、古在由重訳の岩波文庫版だとP.43-44、この引用はネットのものを拝借したが、ひょっとしたら廣松渉の訳だろうか。有名な「朝には狩を」の部分。昔は翻訳の微妙な違いが大騒ぎになって、直ちにドイツ語ではどうなんだと声が上がるほどマルクスの原典解釈は日本の知識世界において重要な問題だった。上を読むとマルクスの共産主義社会の理想がまさに分業の廃絶として、そして疎外と市場の揚棄、さらに階級の廃絶として捉えられていたことがよく分かる。精神的労働と肉体的労働の分割の廃絶、一個の人格が両方を受け持って全体的人間となること。こういう理想が唱えられている。この背景には、後に『資本論』の労働日論となって展開されるところの、生産力の発達が社会の必要労働部分を限りなく縮小させ、社会の成員が剰余労働、つまり好きな創造的芸術的生産をやって楽しめるようになるという科学の発展への素朴なオプティミズムがある。
上のマルクスの共産主義の理想論は、二十世紀の世界の多くの人間の心を捉えてきた。例えば会社へ行くと、清掃会社の制服を着た掃除婦のおばさんがフロアやトイレを掃除している。高等学校までは掃除は生徒がやっていた。小学校では教師も生徒と一緒に手伝ってくれていたような記憶がある。低学年の頃、母親ほどの年の女の先生に雑巾の絞り方を教えてもらった。共産主義社会になったら職場の清掃も会社の社員が自らやるのかしらと思い、それはそれで悪くないのではと若い頃は思っていた。古典の断片的な言葉だけが与えられて、各自が楽しくイメージを膨らませている間はよかった。現在は古典の抽象的な預言だけでなく現実の歴史が与えられている。共産主義者たちは、共産主義者たらんとする者は、マルクスが古典で示した理想論が、何故にあのように破滅的で悲劇的な地獄を人類社会に結果させてしまったかを説明しなければならない。ユートピアのイマジネーションだけでは済まない。
説得力たらんとすれば、そのアポリアの説明に挑戦して多数が認める成果を上げる必要がある。共産主義を地上に実現しようとする試みは、私の理解では三つから四つのパターンとアプローチがあった。第一は全ての社会的生産をゴスプランで経済計算して、釘の一本まで計画生産して配給したソ連型の計画経済。第二は農業と工業の分割の廃絶をめざして原始共産制の復活で共産主義実現を図った中国の人民公社方式。第三はユーゴの自主管理社会主義。第四はグラムシのトリノでの工場評議会運動の実験である。これら各国での経験は、共産党が綱領で掲げている「生産手段の社会化」を考える上で参考になるものだろう。それぞれの為政者や指導者たちは共産主義の実験を失敗させようとしてやったわけではない。それぞれがマルクス解釈に自信を持ち、資本主義ではない労働者の王国を作ろうと足掻いたことは事実である。が、全て失敗した。ソ連型の計画経済はプロレタリアートの代表たるエリートが国家の中枢で生産を制御して、市場機能のない経済社会を実現しようとしたが、あえなく失敗した。
第二の毛沢東の実験は論外だが、ソ連のコルホーズも、よく中身を見れば実態は強制収容所であり、ソ連の農業の集団化とは農民の囚人化に他ならない。が、この第二の原始共産制方式は、なぜかアジアで人気があって、カンボジアのポルポトの実験は毛沢東方式の共産主義を徹底的に遂行した最悪の事例である。原始共産制には知識は不要ということで、国内の知識人は一人残らず処刑されてしまった。最近ネパールで毛沢東主義の武装勢力が暗躍していると聞いて、このニュースが入る度に神経質な気分になる。ネパールの国民に大過がないことを願う。現在の共産党の「生産手段の社会化」に最も近い表象が、と言うか、それにアイディアを与える欧州の経験が、恐らく第三のユーゴの自主管理社会主義と第四のグラムシの工場評議会ではないかと思うが、第三は完全な失敗に終わり、第四はグラムシに関心のある者以外は誰も知らない瑣末な歴史的事実の片端にすぎない。もしも共産党が本当に「生産手段の社会化」に情熱を持っているのなら、もっとそれを本格的に理論化して概念化する必要があるだろう。
たとえば構造改革のシンボルを新自由主義者に奪われるのではなく、その起こりから再び説き起こして、グラムシに照射して、そしてヨーロッパの左翼知識人と理論共同して、構造改革のシンボルを奪還する理論闘争を興すことが可能であったはずである。不破哲三は(出自からして)まさにその最適の人物であったと思うが、90年代以降、そうした理論的情熱を共産党がわれわれに見せることは無かった。私が、共産党は綱領と党名には共産主義を掲げているが、内面にはそれを保持していないと断言するのは、そのあたりを見た上での判断である。理論を新しく開発しようと努力していない。そして共産主義を捨てる将来の選択をそれとなく雰囲気で示して、党員や支持者や国民の様子を窺っている。加藤哲郎が指摘しているところの共産主義フェイドアウトの姿勢が顕著である。不破哲三の政治的リアリズムは、禅譲と同時に社会民主主義政党に脱皮するという戦略の一点にあるとしか思えない。共産主義を説得的に説明することはもう誰にもできないのだ。暗黒の歴史が重すぎて、それを思惟の力業で持ち上げられない。
現実政治に立ち向かう政治家はその責任を負うべきではない。