カッシーニが反論をしてきたが、その中身はあまりに粗末で話にならない。カッシーニは誰かの愚劣な落書きを引用して、
「この二段階発展論がスターリン独自の思想でないことを留意すべきと忠告している」などと言い、私に対する反論の材料にしているけれど、私は二段階革命論がスターリンのオリジナルだなどとは一言も言っていない。そんなことは一言も言っていない。もし私がそう言っているというのであれば証拠を見せさない。私が言っているのは、三十二年テーゼの二段階革命論がスターリンの指示であったという歴史的事実であり、ロシア革命の二段階革命論の話ではない。三十二年テーゼは日本革命の話だろう。何を混同しているのか。人が言ってもいないことを、さも言っているかの如く捏造して、捏造した「議論」に対して批判を加えて反論だと言い立てる。これは議論のスリカエであり、弁証法でも何でもなく、論争において慎むべき悪質な手法である。それに便乗したカッシーニの態度は軽率きわまる。
ロシア革命の話と日本革命の話をスリカエてはいけない。さらに、その次の段落にも何やら奇妙なことが書いてある。曰く、
「私も全く同感だ。日本共産党の行動の一つ一つをスターリン主義と合致するか・・・というよりも、スターリン主義に合致させようとする穿った見方で分析しているように思えてならない。それは彼のスターリンへの義侠心がそういう観念的な思考へと彼を追い詰めいているのかもしれず、そこに冷戦時の「いわゆる」共産国家の影響の大きさを思わずにいられない・・・」。意味不明な文章である。カッシーニに聴くが、
スターリンへの義侠心って何だね。義侠心の意味は「正義を重んじて強きをくじき弱きを救うことを積極的に行おうとする心」なのだが、なぜ私がスターリンに対して義侠心を抱かなければならないのかね。スターリンは正義でもなければ弱者でもないと思うが、カッシーニから見ると、私がスターリンに義侠心を持っているように見えるのかね。カッシーニの文章には言葉のミスが多すぎる。
この批判についての中身の検討だが、そもそもカッシーニは「スターリン主義」の語の意味を理解した上でそれを使っているのか、私には疑問に思われるし、そう疑ってカッシーニを眺めている人間は少なくないだろう。私は日本におけるスターリン主義とは日本共産党の思想と行動のことであると理解している。日本共産党の思想と行動=A、スターリン主義=B、したがってA=B。この等式はさらに、A=B=(民主集中制の組織原理と終身権力制+日本版マルクス・レーニン主義である科学的社会主義+コミンテルン日本支部の出自と伝統)と伸びて概念の中身を構成する。カッシーニ、君はA≠Bだと言っているのだが、それでは聴きたいが、君の言っているスターリン主義とは何なのかね。私に答えてくれたまえ。結論から先に言えば、スターリン主義に呪縛されているのは、私ではなく君である。呪縛されているのは、スターリン主義を対象化していないカッシーニと共産党員である。共産党の教義そのものがスターリン主義なのだ。
鏡の助けがなければ、自分で自分の顔を見ることができないように、スターリン主義の者がスターリン主義を語ることはできない。共産党のパンフレット(公式教義)しか知識の方途のないカッシーニが、スターリン主義を定義することは不可能である。君が弁証法の人間だと言うのなら、君自身の弁証法でA≠Bを証明しなさい。確かに反論することは大事だし、カッシーニに立場があるのは分かるが、立場と同時にカッシーニにはハンディキャップがある。私に対する批判は、君が無理に請け負うのではなく、誰か党の専門家に依頼した方がよいのではないか。カッシーニはその前に四条のジュンク堂に駆け込んで
石堂清倫を買い求めるべきだ。三十二年テーゼの二段階革命論についてのカッシーニの反論だが、カッシーニは私の議論に対して「一元的すぎるのではないか」と批判している。この「一元的」は「一面的」の間違いだと思うが、私は私の記事の中で、三十二年テーゼの二段階革命論について決して一面的な評価をしていない。
記事をよく読んで欲しいが、私は、二段階革命論が無意味なのは、戦後、特に60年代以降だと明確に述べている。「戦前はともかく」と限定を付しているのが目に入らなかったのだろうか。戦前における二段階革命論の意義については、多少は評価する視点を持っているという意味である。ここで敢えて共産党の二段階革命論に評点を与えるならば、戦前は40点、戦後は20点、60年代以降は0点という点数になる。私はこの評価の仕方こそ弁証法的な認識態度であり、逆に私の議論の中身を無視して、私の二段階革命論への評価を一面的と決めつけるカッシーニの態度こそ非弁証法的で一面的だと思うがどうだろうか。ついでに言っておくが、弁証法、弁証法と、何でも弁証法主義であればいいってもんじゃない。
前にも言ったが、低気圧の弁証法、高気圧の形式論理、両方とも認識と思考の方法として重要である。弁証法と形式論理の両方の態度を備えて、ヴェルトフライハイト(価値判断自由)に使い分けて本質に迫り、説得力にすることが大事なのだ。
ちなみにレーニンとトロツキーは弁証法主義者で、どんな政治局面の判断も弁証法的な態度が横溢していて、特にトロツキーのブレスト・リトフスクの講和交渉など典型的だと思うが、スターリンは逆に非弁証法的な割り切り屋で、心の奥底で天才二人の弁証法主義をせせら笑っていたところがある。だからこそ政治権力をよく保持できたとも言える。そう考えれば分かりやすいのだが、スターリン主義であるマルクス・レーニン主義(科学的社会主義)はまさに「割り切り主義」の極致であろう。公式教義の羅列であり、解釈は厳に一義であり、教科書の丸暗記であり、どこにも弁証法の自由はない。科学的社会主義者が弁証法を言うのは本来滑稽な話であって、即ち論理矛盾であり、単に言葉のアクセサリーにすぎない。スターリン主義の党である共産党の中で弁証法的であり得るのは(許されるのは)トップの指導者だけである。党は軍隊なのだから、兵隊が戦場で弁証法的に戦闘しては話にならない。この話は稿を変えて詳しく論じよう。面白い話がある。