靖国問題を論じるとアクセスが跳ね上がってブログの価値が増殖されるのだが、共産党問題を論じてもあまりアクセス数が上がらない。この点は少し残念だが、引き続き議論を展開することで、一人でも多くこの問題に関心を持って本格的に考える人間が増えることを願いたい。関連する記事の中では
ここと
ここが秀逸で考察がインテリジェントであると感じた。問題の意義を理解し、さらにその困難を熟知できていて、さらに言えば日本の政治の本質をよく洞察できている。共産党を動かさないと日本の政治は結局のところ変わらない。私は以前からそう直観していて、恐らく丸山真男もそう考えていたに違いないと思われるのだけれど、丸山真男は遂にそれを果たせなかった。無論、われわれがやらなければいけない事は、小泉政治批判の世論をネットで盛り上げることであり、ネットの中に改革ファシズムに反対する世論が存在することを日本中の国民に知らせることだが、同時に、単に改革ファシズムに反対の声を上げるだけでなく、具体的に新しい政治の構図と概念を示して世に問う必要がある。
たとえば、あくまで仮にだが、また小泉首相が来年に衆院を解散したとしよう。このままでは今年の夏と全く同じ選挙になる。解散と同時に自民党は「改革」を言い、民主党は「真の改革」を言い、民主党は二大政党制の意義と政権交代をアピールし、マニフェスト選挙に持ち込んで、反小泉の票を民主党に集中独占しようとする。そして共産党と社民党は「真の野党」を訴え、NHKの報道番組が、共産党は反消費税、社民党は憲法擁護と二党の特色を色分けして演出してやって、自民党にも民主党にも入らない票を二つに分ける。公明党は例によって悠々自適で創価学会から八百万の票を得て安泰。そして今と同じ結果になる。何も変わらない。せいぜい自民党と民主党のどちらに風が吹くかだけで、どちらが勝っても新自由主義革命が加速される点では同じである。新自由主義革命の速度と程度を争う選挙になり、都市部はともかく、農村票は過激な痛みを嫌って自民党に流れるだろう。
このままでは何も変わらないのである。ネットで反小泉の世論を盛り上げても、それでは前原民主党が300議席の絶対多数を取ってしまえばどうなるか。前原誠司の過激な新自由主義路線が勝利したということで、党内左派の社民系勢力は沈黙するか解体せざるを得ないだろう。改憲も勢いよく断行する。左派がそれを嫌がれば、前原誠司は多数の右派を率いて自民党と組むだろう。どちらにしても改憲と新自由主義革命の地獄しかない。この政治を本当に変えるためには、上のようなスタティックな構図を壊さないといけない。新自由主義に反対する勢力が多数になる図を構想する必要がある。前回までの選挙であれば、単に共産党に小選挙区で民主党に入れるように呼びかければよかったが、次はそうは行かない。新自由主義革命の最前衛である前原民主党に投票を呼びかけるわけには行かない。私が結集を呼びかけている左右共闘は、新自由主義革命と対決する新しい多数派である。
その政治構図と政治勢力を創出する必要がある。現状のままではそれは不可能で、不可能であることを共産党の執行部も社民党の執行部も知っていて、そして単に自党の組織維持のために国民から票を集める。一桁野党で安住する。一桁野党で安住して、結局は改憲を許し、そして「わが党は最後まで戦って頑張りました」と言う。自己を正当化する。二党に票が入っている間は幹部は代議士を続けられる。私はこういう政治家の態度は国民を愚弄するものだと前に言った。その考え方は変わらない。頑張ればそれでいいってもんじゃない。いくら正しいことを口で言っても、実際に政治の現実を変えられなければ、政党も政治家も存在意味はないのだ。実際に共産党のやっていることは「わが党が正しい」の一点張りで、「いつか国民が理解してくれる」の繰り返しである。そう言いながら長期低落で票を減らしてきた。共産党が看板を変えて出直さないかぎり、国民は共産党の本気を信用しない。
新自由主義革命に対決する多数派の形成は、それぞれの党が現在のスタティックなあり方を転換させるところから始まる。各党が現在の姿勢と方針を変えて新しい顔と政策にならなくてはいけない。私は、その鍵を握るのは共産党と公明党だと考えている。護憲と反新自由主義の第二次創共協定の締結だと考えている。創と共が薩長同盟を結び、そこに民主党と自民党の反執行部組を巻き込む。あるいは天下三分の計を組む。動き出せば政界再編のバリエーションはいくらでも組み合わせ可能であり、そのエネルギーは、少なくとも新自由主義革命を抑止して福祉国家を再建する政策方向に日本の政治を導くだろう。改憲を阻止できて、新自由主義革命を阻止できるのなら、共産党が消えていてもよいではないか。公明党が消えていてもよいではないか。政党は国民のためにあるのであって、国民が政党のためにあるのではない。反小泉・反改革を言うだけではなく、新しい多数派形成のデザインとイマジネーションとその説得力が必要なのだ。
私は森田実と上の相談をしようと思っている。できれば不破哲三にも会って話をしたい。不破哲三を説得したいと
本気で考えている。現在130名のブロガー同盟にどのような波風が立つかは不明だが、既成政党と政党支持者の間には大いに波風を立てなくてはいけない。現状の(選挙すれば結果としてどう転んでも新自由主義が勝つしかない)固定的な政党観や政党支持観を壊し覆して、新しいものを対置し提案して、それを現実化させてゆかなくてはいけない。政党が差し出すマニフェストをわれわれが口をあんぐり開けて待つのではなく、われわれが新しい左右共闘の政権マニフェストを作って、新自由主義を迎撃する新しい勢力を国会に送り込むのである。私がブロガー同盟の運動で支持獲得をめざしているのは、あくまで無党派層であり、支持政党なしの人々の同意と共感である。別にどこか既成政党の支持者をブロガー同盟の中心軸に据えようとは思っていないわけで、だから既成政党へのリップサービスは不要なのである。
カッシーニに言っておくが、私が「愚劣な」と表現していることについてはもちろん根拠がある。何が愚劣なのかについては、多忙なカッシーニはブログの巡回をしておらず、共産党問題で対応に必死だから理解できていないのかもしれない。どうやらネット右翼と協調してブロガー同盟を撹乱しようと工作している愚劣な粘着ストーカーが一匹いるようで、どこかの同盟員のブログでコメント荒らし事件を起こして顰蹙を買っていたようだが、カッシーニが特に気づいてなければ、私がここで具体的に説明することはしない。ただ、私が書いていることには、例の「戦前はともかく」の表現も含めて、基本的に何らかの根拠や背景への意識があって表現を選択しているはずで、それを読みとるように(調べて)読んでくれればありがたいと思う。