阿修羅像はこれまで三度拝観した。場所が近鉄奈良駅と東大寺の間にあって便利だから、興福寺の国宝館には簡単に立ち寄ってしまう。小松左京は十回以上「会いに来ている」と言っている。阿修羅のファンは多い。私の場合も定番のコースがあって、春日ホテルの
食堂に立ち寄って柿の葉ずしの入ったメニューを頂戴してから国宝館に足を運ぶ。春日ホテルから興福寺、興福寺から東大寺、大仏殿の威容の前で佇んだ後、そこから坂道を上がって二月堂に向かい、途中の茶店で甘酒を楽しむ。二月堂から大仏殿と奈良の街を遠望する。そういう周回経路にしている。いちばん最初に奈良に訪れたとき、二十年以上前だったが、当時の国宝館の印象はひどく貧相な安普請で、あの大きな仏頭をはじめ、中にゴロゴロと無造作に詰め込まれた仏像たちが可哀想だった。現在はそれなりに立派な建物に変わっている。左手に折れた右奥に阿修羅像があり、そこだけはいつも見物客が群がっている。私は日本の仏像の中で阿修羅が二番目に好きだ。
一番は中宮寺の菩薩半跏像で、二番目が阿修羅像、三番目が秋篠寺の技芸天、四番目が室生寺の十一面観音の順番となる。庭を見るなら京都の寺だが、仏に会いに行くなら奈良である。だから奈良の寺は人が少なく、年齢層も上であり、旅人は寛いで楽しめる。私の心は最近は京都よりも奈良にある。半跏思惟像はまだ実物を見たことがない。五木寛之の『百寺巡礼』の最初の方で出てきた。対面しながら「僕は物書きで、言葉にしなければいけないのだけれど、言葉を忘れてしまいますね」と言っていた。私が奈良の仏を見るようになったのは、そこへ導いてくれた人がいたからで、仏の心を持った人に出会えた人生の幸運を感謝している。朝早く東京駅を出て、日帰りで奈良の寺々を回った。隠れた山里にある室生寺とか長谷寺は、そういう秘めやかな参詣がよく似合う。高齢の者なら仲間同士とか夫婦連れがよく似合う。二十代の若者なら一人で寡黙に歩くのがよい。その中間の年齢層は秘めやかな訪れ方が似合うのである。
阿修羅像には三つの眺め方がある。最初は三面六臂の華麗で独創的な上半身の造形美に目が奪われる。 教科書に阿修羅が紹介されるときは基本的にこの絵が使われる。知識としての阿修羅の最初のイメージは三面六臂の線形構図である。ところが、その次に、少し眺めていると阿修羅の表情の素晴らしさに気がついて、この仏像の高い芸術美に心を奪われて魅了されることになる。これほど表情が内面的で素晴らしい仏像は日本に何点もないのだ。眉間に思い詰めた少年の緊張感があり、見る者はそれを当惑とも困惑とも表現する。女から見れば阿修羅は間違いなく少年だが、男には阿修羅が少女に見える。小松左京もそう言い、司馬先生はさらに明確にそう言い切っている。阿修羅が好きでたまらないのだ。表情に魅了されて阿修羅に釘付けになっていると、三番目に、下半身を含めた阿修羅の全体像の魅力にも気づかされる。阿修羅像は下半身が素晴らしく、全体のバランスが絶妙で、これを作した仏師の芸術的天才がよくわかる。
しかしながら興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑というべき神秘的な表情がうかべられている。無垢の困惑というのは、いま勝手におもいついたことばだが、多量の愛がなければ困惑はおこらない。しかしその愛は、それを容れている心の器が幼なすぎるために、慈悲にまでは昇華しない。かつそれは大きすぎる自我をもっている。このために、自我がのたうちまわっている。(中略) 阿修羅のように多量の自我をもってうまれた者は、困惑は闘争してやまず、困惑しぬかざるをえない。(中略) 阿修羅は、相変わらず蠱惑的だった。顔も体も贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが腰から下のはかなさにただよっている。眉のひそめかたは、自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしている。(中略) これを造仏した天平の仏師には、モデルがいたに違いない。賢人の娘だったか、未通の采女だったか。
(朝日文庫 『街道をゆく 24』 P.234-235)
小松左京も特に阿修羅の腰から下に注目して、これを少女だと見とめている。司馬先生と同じ見方だが、ウエストから下の周辺にそういう想像をかきたてるものが確かにある。手元に入江泰吉の撮った阿修羅像があり、三面六臂の上半身の大きな空間の構えを捉えつつ、純真な表情にフォーカスした見事な一枚に完成している。入江泰吉は天平の仏が好きで、その中でも阿修羅と技芸天がお気に入りだった。仏は撮る者によって表情を変える。私は仏の心を伝える者として入江泰吉が最も優れていると思う。芸術家である彼の能力のおかげで日本人は奈良の仏の素晴らしさに触れられている。中宮寺の菩薩半跏像も、その美しさを最大に引き出したのは入江泰吉の技術と感性であり、入江泰吉のおかげで中宮寺の菩薩半跏像は仏像界のカリスマになり得たと言っても過言ではない。入江泰吉その人が、まさに知的で純粋な奈良の仏様そのものの存在のように見える。奈良の人はみな思想人だった。阿修羅とは「闘争してやまぬ者、争う生存者」の意味である。
新しい国家の建設のために思想を求め、思惟し思索した奈良の人は本当に美しい。