学生だった頃の私の北方領土論は、シムシュ島とカムチャッカ半島の間に国境線を引くべしというもので、要するに1875年の千島樺太交換条約の線で平和条約を結ぶべしというものだった。確かに日本はサンフランシスコ平和条約第二条で千島列島の放棄を宣言しているが、千島樺太交換条約はロシアとの間で戦争をして締結した条約ではなく、平和裏に樺太と千島を交換して領土を画定させたものだから、侵略戦争による獲得領土の放棄を旨とするポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約の中に千島列島が含まれるのは不適当ではないかという考え方の持ち主だった。が、この考え方を貫徹するのはサンフランシスコ平和条約の否定に繋がり、戦後世界の平和秩序を根本から覆す態度に通じ、現実的ではない。基本的には国境線はウルップ島と択捉島の間に引かれるしかない。その後、梅原猛の「縄文=アイヌ説」が一世風靡した時期があり、梅原猛に耽溺していた頃の私は、別のアイディアを持つようになり、それは四島をアイヌの自治領として返還すべしというものだった。
この考え方は、それから暫く経って、和田春樹が1999年に出した朝日選書『北方領土問題―歴史と未来』の中に似たようなものを見つけ、私の方が先駆だなと一人で悦に入っていた記憶がある。梅原猛の脱近代主義には大いなる影響を受けた。一方、現実の領土交渉では、ソ連崩壊直前の90年の冬だったと思うが、当時自民党幹事長だった小沢一郎がカバンに一兆円詰めて厳冬のモスクワに飛び、ゴルバチョフと直接談判して四島を買い戻そうとした一件があった。外務省当局を差し置いた小沢一郎のスタンドプレーだったが、報がロシアに洩れ、ロシアの国民感情を害し、モスクワに降り立った時点で話はご破算となっていた。その頃にはゴルバチョフは深刻な経済危機と周辺共和国の独立の動きのために人気を失い、政権の中で孤立を深め、徐々に実権を失いつつあり、とても四島返還に合意できるような状況ではなかった。91年春に来日したときは完全にレイムダック状態で、史上初のソ連指導者の訪日でありながら、領土交渉を含めた外交を舵取る権力を失っていた。
四島返還が最も現実味を帯びたのは、ゴルバチョフの治世であったかと私は思っている。訪日を決断したということは平和条約を締結するという意味であり、四島について何らかの歴史的譲歩の腹案をゴルバチョフは持っていて、それ以上に、当時はバブル絶頂の金満大国であった日本のカネが欲しかったのだ。ソ連では計画経済が破綻して縮小再生産が続き、食糧と燃料の供給が不足して、冬を越せずに餓死者や凍死者が出る恐怖に国中が怯えていた。89年頃のゴルバチョフは、本気で四島を日本に売却する覚悟を決めていたのに違いない。その軟弱な対日外交姿勢が、また国内でゴルバチョフの不人気を煽り、ゴルバチョフを失脚させようと企む政敵たちに攻撃材料を与えていた。結局ゴルバチョフは失脚。四島返還は再び遠ざかって行くことになる。あれから十五年。彼我の関係は大きく変わった。ロシアは資源大国となり、先進国入りをめざす急成長のBRICSの一員となった。一方の日本はバブル崩壊後の長期不況で沈み込んだ借金大国となった。二国の立場は大きく変わった。
私の北方領土論は情勢の中でどんどん変わる。現在は、平和条約締結を急ぐよりも、東シベリアやサハリンの石油天然ガスに注目して、資源大国ロシアとの協調を優先させ、さらに成長を遂げている国内市場に注目するべきだという経済主義に変わりつつある。四島を取り戻すためには二つの条件が要る。一つはロシア連邦を根幹から揺るがす政変なり混乱であり、二つ目は二国間の貧富の差(ロシアの窮迫)である。二つ目の方は立場が逆転して現実味を失いつつある。豊かになったロシアに日本のカネは必要ない。売却する理由がなくなった。第一の条件については今後の情勢何如だが、例えばサハ共和国が連邦から離脱して独立宣言し、ブリヤート共和国が続き、その余波がウラルやコーカサス全域に及んだとき、場合によっては古の
極東共和国のような新しい国が誕生するかも知れない。極東シベリアとサハリンと千島列島を版図とする独立国家。そういう極端な展開がなければ、実際のところ四島返還の可能性はないのではないか。ロシア経済が発展すると北方領土の返還は遠のく。
最後に、あまり考えたくない想定として、復活した日本の軍国主義が武力で四島を奪還するという図がある。この可能性は、嘗ては全く念頭になかったが、最近は徐々に現実味を帯びて来つつある。竹島や尖閣諸島の主権を声高に叫んでいる右翼が、北方領土の主権(侵害)を無視できるはずがあるまい。竹島や尖閣は紛争地域として双方の主張に合理性があるが、四島の不法占拠には何の合法性も合理性もない。最も理想的なのは、混乱もなく戦争もなく平和的に四島が返還される図である。それはロシアに再びゴルバチョフのようなカリスマが登場して国民を説得することであり、経済的に豊かになったロシアで市民社会が発展し、市民的意識が成熟し、他国から強奪した領土を返還する方向に世論が政府の外交政策を促すことだ。その可能性はないことはない。それが一番いいけれど、現実が理想どおりに動くということはあまりなく、私は自分が死ぬまでの間に北方領土返還を見ることはないだろう。昔、「ニュースステーション」で放送された択捉島の森の自然が美しくて、久米宏が感動していたことを覚えている。
一度そこに足を踏み入れようと思っていたが、夢をひとつひとつ失って老いるのが人生だ。