これまで一度だけ北方領土を見たことがある。91年の正月に納沙布岬まで旅をした。その年の春にゴルバチョフの訪日が予定され、これはひょっとしたら北方領土の見納めになるのではないかと思って見に行ったのである。釧路から根室までJR線で二時間。この二時間の車窓は、これまで乗車した国内の鉄道の中で最も美しく印象に残っている。自然が豊かで美しい。左側の車窓には釧路湿原の森の向こうに雌阿寒岳から続く知床の連山がくっきり見える。青い大きな空に雄大な山々が映えて壮観だ。厚岸から先の右側の車窓はさらに絶景で、日本とは思えない幻想的な海岸線が続く。霧多布の原野が断崖になって海にすべり落ちる風景は、日本の国土の一部とは思えず、アイルランドかグレートブリテン島の海岸段丘にそっくりなのだ。根室からバスに乗り換えて根室半島の先端まで行くのだが、この半島の風景が圧巻で、山はおろか丘もなく、起伏のない平面の草原がただ広がり、遮るものが何もない荒れ野を風がびゅーびゅー吹きつけて、枯れ草が一面に波打つ風景が続くのである。まさにスコットランドそのものなのだ。
根室駅から納沙布岬までの沿道にいくつか停留所があり、人が何人か乗り降りするのを横目で見たが、こういうところに住む人はどれほど心細いことだろうかと心の中で同情を感じた。何もない納沙布岬の突端に、そこだけひと塊りの賑わいがあり、大型バスの駐車場と土産物屋が並んでいる。テレビ東京の旅番組で年に一度は必ず出る花咲蟹ラーメンの店もある。岬の先端に何台か望遠鏡があり、観光客はそれを覗きこむのが恒例だが、私も目と鼻の先にある貝殻島の方角にレンズを向けてみた。貝殻島の灯台と水晶島の平べったい台地状の島影は肉眼でもよく見える。が、望遠鏡で水晶島を凝視していたら、何とそこにソ連兵の歩哨の姿が二人見えてしまったのである。驚きだった。一人は双眼鏡でこちらを監視していた。もう一人は最初は馬に跨っていて、そして馬から降りて何をするかと思っていたら、やおら立ち小便を始めたのだった。水晶島まで距離7キロ。観光客用の望遠鏡でそこまでハッキリ様子が窺える。少し前のテレビのニュースで北方領土の映像が出るときは水晶島を上空から映した絵が使われていた。
水鳥が翼を広げて飛んでいるような形の島。平らな、地上からは水面に浮かぶ直線でしかない水晶島の向こうに色丹島も見える。色丹島には高度があり、すなわち島としての厚み(山)があり、島は雪を被って白く輝いていた。で、その位置から望遠鏡を離して左を振り返ると、国後島の大きな島影が左前方から左後方までずっと長く伸びているのに気づくのである。納沙布岬は海に突き出した突端だから、すなわち周囲は海である。北方領土を見なくちゃということで貝殻島や水晶島が浮かぶ正面の海の方角にばかり気を取られていたら、左側面に巨大な国後島が横たわっているのに気がつかなかった。つまり、納沙布岬は周囲を海に囲まれていて、その海には正面も右も左も北方領土の島々が浮かんでいるのである。北方領土に取り囲まれているのだ。これは現在で言えばロシアの実効支配領に取り囲まれているということであり、当時で言えばソ連領に取り囲まれているということである。その根室半島には山も丘もなく、一面の草原で視界を遮るものがなく、ソ連の戦車隊が上陸する場合の目標地点はここだろうと言われていた。
スターリンは、日本がポツダム宣言を受諾した翌日の8月16日にトルーマンに書簡を送って、留萌から網走を結ぶ北緯44度の線から北の北海道北半をソ連軍が占領する計画を打診している。トルーマンの拒絶で事なきを得たが、このスターリンの火事場泥棒が通っていたら、今頃は津軽海峡が日露の事実上の国境線になっていただろう。ソ連の四島への侵攻と占領は8月末から9月初までの一週間の期間で、米国がそれを見逃したのは、やはりヤルタ会談での米ソ間の秘密協定があったからだとしか考えられない。藤村信の『
ヤルタ-戦後史の起点』では、ルーズベルトが、四島がスターリンが割譲を要求するクリル諸島には含まれない日本固有の領土である歴史的事実をよく知らなかったか、あるいはソ連参戦の果実に較べれば、四島の取引など大した問題ではないと政治判断していたと書いている。重病の老人で死を真近にしていたルーズベルトは万事が弱気で、第二次大戦の終結と戦後世界の平和体制の構築のためにはスターリンの協力が必須と考え、ありとあらゆる問題でソ連に譲歩する覚悟を持ってクリミアに飛んで来ていた。
ポーランドやドイツのその後の過酷な運命に較べれば、日本はまだ救われている。北方領土問題の解決は二国間の直接交渉では不可能だ。米国と中国とEUと国連の協力が要る。私は、この問題はスターリンの戦争犯罪の最終的清算という形で決着させることが、最も理想的な形であり、同時に最も現実的な形であると考えている。スターリンの戦争犯罪、ソ連の国家犯罪の始末の問題なのであり、多岐にわたる悪魔的犯罪の贖罪と原状回復の責任履行の一部なのだ。米国は第二次大戦時に日系人を不当逮捕し強制収容所に囚置した人権侵害を謝罪して補償した。自由と人権の国の米国であってはならぬ歴史的汚点だったが、レーガン政権のときに自らの過誤を認めて日系人に謝罪している。ロシアで、スターリンの国家犯罪による被害者の救済は今後どうなるのだろうか。名誉回復はされている。が、本格的な被害調査や損害賠償をしたという話は聞いていないし、ロシア国内でもそこまでの(市民社会的)世論には至っていないのだろう。スターリンを英雄視する世論も依然として多く、大祖国防衛戦争の正当性意識は国民の中で根強くある。
だが、それではいけないのだ。ロシア国民もロシア政府も変わらないといけない。スターリンの戦争犯罪の問題と真摯に向かい合う必要がある。普遍的な歴史認識を共有する必要がある。国内の人権被害者を本格的に救済する事業を始める必要がある。スターリンテロルによる国内の被害者のボディカウントをロシア政府として公式に調査して発表する必要がある。ロシアがそこまで変われば、北方領土問題は解決されたも同然の状態になるだろう。日本の要求に応じて渋々返すのではなく、ロシアが自己の決断として返還するのが適当なのだ。そういう環境を国際政治(ムチ)と二国間経済(アメ)で作る。それが私の現在の考え方である。さて、佐藤勝の北方領土政策についてだが、『国家の罠』での議論と同様の主張が「世界」12月号でもなされている。結論から言えば、二島先行の鈴木宗男の立場の擁護であり、言わば自己正当化の議論と言ってよいだろう。一つの議論ではある。が、私は二島先行論には反対だ。従来の外務省の方針である四島一括の堅持と強調こそが交渉においては正しい態度である。すなわち93年の東京宣言が最も重要だ。
そうでないと色丹と歯舞を返すだけで幕を引かれる。ロシアの戦略に乗ってはいけない。