以前に新聞記事で読んだ話だが、民主党代表に就任した前原誠司が外国人労働者の受入を自由化して日本経済を活性化すべしという主張を持論にしているということだった。いかにも過激な新自由主義者である前原誠司らしい極端な議論だが、竹中平蔵と前原誠司の二人が組めば、案外簡単に出入国管理法と外国人登録法を改正して、フリーパス・フリーステイの日本社会を実現してしまうかも知れない。前原誠司は要するに日本を米国のようにしたいのであり、米国のような国のかたちにすればそれが日本の繁栄と幸福であるという信念を持っているのだ。日本を移民の国に改造して、移民のエネルギーとパワーを経済発展の基礎的な原動力にしようという発想である。安直きわまる考え方というほかないが、米国留学組で現在の日本の支配者になりつつある英語エリートにはこの社会政策の支持者が多い。英語はできないが「勝ち組」のカリスマ的存在である堀江貴文も恐らく同じだろう。
日本社会に無理やり格差構造を固定させようとしている新自由主義者の基本思想は、その基底には日本が没落するという「パイの激減」の予定調和観念があり、エリートの心理脅迫としての自己保身の動機が強く作用して、格差システム固定化を生き残りの方策として模索追求しているのは間違いないが、もう一つ、その思想の中には、カルヴィン的なプロテスタンティズムの「選びの教義」の着想と依拠があるように思われる。すなわち、世の中は常に「勝ち組」と「負け組」に分解する不断の両極分解運動の中にあるのだから、惨めな「負け組」に転落したくなければ、必死に努力して、英語でもIT技術でも短期に習得して、稼げる仕事に就いて金を貯めて株で儲けろという考え方である。怠けた者は神によって地獄に落とされる。神に選ばれる者、選ばれない者は最初から決まっているが、人は神に自らが選ばれていることを信じてただ偏執的にハードワークして金を稼ぐ以外にない。
内面化された資本主義の精神態度としてのカルヴィニズム。没落の恐怖からのパラノイア的なストラグル、個々の上昇への足掻きの総和が経済社会全体の活力と繁栄を齎すという原理主義的な新自由主義の思想。現在の日本の支配的な思想であり、金儲け主義の正当化理論であり、米国と米国人のコモンセンスである。このカルヴィニズムと資本主義と米国というシステムの思想史的問題については、さらに立ち入って詳細に論じたいところだが、それは別の機会にトライするとして、ここで言いたいのは、そうした国のかたちが果たして本当に日本の繁栄なり活性化に繋がるのだろうかという基本的な疑問である。それは日本と日本人をどのようなものとして自己認識するかという問題とも繋がっている。私の結論を言えば、米国式の両極分解の没落脅迫システムの採用は日本を幸福と繁栄には絶対に導かない。逆に作用する。日本をフィリピンやプエルトリコのような国にしてしまうだろう。
日本というのは二千年間、一貫して等質性と均一性を追求してきた民族である。ピュアリズムとホモイズムが日本の特徴なのだ。ホモ主義なのである。ヘテロ主義を嫌う。日本人のエスニシティな場面や領域におけるホモ主義は、歴史的に見るとその内実はきわめて苛烈で、ヘテロを許さない強引な体質がある。ホモでパフォーマンスを実現する。そう言えるのではないか。私がそう言うときに念頭に置いている根拠はいわゆる皇民化の問題で、日本人は和を好むとか、他者に寛容と言いながら、実際のところは強烈な文化的ジェノサイドをやる。熊襲や蝦夷やアイヌ、朝鮮での皇民化政策を考えればよい。まず民族の指導者を謀略で殺し(クマソタケル・アテルイ・シャクシャイン・閔妃)、民衆に心理的一撃を与えた後で瞬時に武力征圧し、そして言語・血統・風俗・習慣を根絶する。皇民化する。日本人に変えてしまう。異文化の痕跡を抹消する。言語を消し、記憶を消し、自己認識を消し去る。
民族に関わる歴史を見ると日本人のやり方は実に陰惨で残酷だ。が、そうした民族のホモ主義が日本の自己完結的で物語発展的な疵のない連続した歴史年表(自己認識)を結果させている事実も疑えない。日本人はホモ主義で社会の秩序と安定を確保し、経済のパフォーマンスを実現してきた。私はそのように確信している。均質で安定した社会体制を構築するときに日本人は生産力を発展させる(元禄・明治・戦後)。そして、ここが大事だが、そうした私の上のような歴史認識(自己認識)こそが、それを批判する側、すなわち脱構築主義の側からすれば国民主義的で近代主義的な自己認識であるのだろう。現在の前原誠司や竹中平蔵的な米国主義や新自由主義は、それが日本を席巻する上においては、それを受容する観念の問題として脱構築主義の影響が間違いなくある。国民主義否定の解体脱構築の論調が、最終的には外国人労働者の無制限受入というような異常で倒錯した政策に結実して行くのである。
雑種文化と言い、日本人は外国の思想は何でも受け入れるのだが、ヘテロ主義ではないのである。