皇室典範改正問題には私は実のところ全く関心がなくて、特に議論するほどの問題だとも思えない。日本国憲法は男女平等を定めているのだから、天皇制のあり方も男女平等にすればよかろう。女系天皇に反対している女の言い分を見てみたいと思ったが、ネットを探した範囲では見当たらなかった。「つくる会」に参集している右翼の女たちは女系天皇に反対しているのだろうか。確かに今回の男系原理の放棄と転換の意味は決して小さくないが、六十年前の象徴天皇制への劇的転換に較べればさほど大きな問題だとは思われない。時代にあわせて変幻自在に変わって行くのが日本の天皇制であり、それをやってきたから二千年も断絶せずに生き永らえてきたのである。時代に即応して変身するのであり、男女平等の時代だから女系天皇に変わるのだ。ゾルレンの問題として人が思うべきは、むしろ長きにわたって続いてきた男系血統制の歴史的不平等の方ではないか。以下は余談と言うより雑談の類だが。
大学に入って暫くした頃、この周辺のテーマを勉強させられた機会があり、川島武宣の『イデオロギーとしての家族制度』やエンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』を読まされた事を思い出した。思い出したけれど、それらの記憶はあまりに遠く、現在の私とは長すぎる歳月が横たわっていて、容易にそこへ近づけない。薄っすらと記憶を甦らせると、そこには母系制(母権制)から家父長制に移行する家父長制革命という概念が定式化されており、原始に太陽であった女性が歴史的敗北を喫して男性の事実上の家内奴隷の地位に落とされたという結論になっていた。マルクス主義では人類始原の原始社会は原始共産制として描かれる。それは階級も国家も宗教も私有財産もない自由で平等な理想郷であり、ジョンレノンの「イマジン」の世界である。エンゲルスの説明では、富が一部に蓄積されて財産が血縁相続(男子相続)される私有制以前の社会は、家族は専ら母と子との関係(母系)であった。
なぜ家父長制革命が起きたのか、本を読みながら実はよく理解できなかった。マルクス主義フェミニズムの立場を主張していた上野千鶴子はエンゲルスの議論をどう捌いていたのだろう。原始共産制については、私が学生だった頃の一般認識としては、おそらく政治的立場の左右を超えてほぼ普遍的な歴史認識として確立していて、それを疑う者は皆無だったように思う。平塚らいてうの言葉も、ジョンレノンの歌詞も、少なくとも私の周囲では原始共産制の前提(無謬性・信憑性)があってはじめて説得力をもって響いていた。現在はマルクス主義の説得力が崩壊したから、原始共産制の概念もすでに怪しいものになっている。私の読書体験の中で原始共産制の概念的前提に一撃を与えたのは、実は小熊英二の『単一民族神話の起源』で、あとがきの中だったと思うが、全てのユートピア思想は自己のユートピアを人類始原の時代に投影して虚構仮設するというような文章があった。この指摘のインパクトは小さくなかった。
エンゲルスの母系制社会の議論はモルガンの古代社会論が下敷きになっている。モルガンの古代社会論は北米大陸の原住民の一部族であるイロクォイ族の現地調査を元にした社会研究だった。確かに考えてみれば、北米の原住民のフィールド調査だけで人類史の一般論を築くのには無理がある。家族制度や相続制度にしても、それぞれの土地や民族で多種多様であって当然だろう。農耕民族と遊牧民族で差が出ないはずがない。古代天皇制には農耕民族的なものと遊牧民族的なものの両方の要素がある。マルクス主義のグランドセオリーが崩壊した後、現在、この原始から古代への人類史がどのように整理され定義されているのか、どのような一般理論が構築されているのか私はよく知らない。網野善彦の『日本とは何か-日本の歴史(00)』を読んだけれど何も書いていなかった。脱構築ばかりで構築をしようとしないアカデミーの無責任に期待を持てず、その方面の知的関心や問題意識をすっかり失いつつある。
全ての歴史認識が相対化され、精神を碇づけられるものが何もなく、寄る辺なき時代の奔流のただ中に放り出された現在、私が頼れるところは日本国憲法の民主主義思想と男女平等原理であり、そこから何事かを考えるという態度しか自分を納得させられない。だから私は女系天皇を無条件で支持するのであり、男女平等の社会を実現するのなら、天皇制も女系容認に踏み切るのは当然だろうと思うのである。不都合は何もない。歴史的範疇としての家父長制革命が真実であったかどうかは別にして、女系天皇に反対している右翼の女は、名前すら与えられなかった古代や中世の日本の女の生き方を自己の問題として思うべきではないか。「徹子の部屋」に出演した宮尾登美子が、「私は女の味方だから、当時の女たちが不憫でかわいそうでたまらず、原作では名前のない登場人物の女たちに一人一人全部に名前をつけてやった」と言っていた。自分が女なら、この宮尾登美子の言葉は、どれほどわが意を得たりの快哉であったことだろう。
日本の女にとっては、この答申の快挙は、二千年の「雌伏」の後の「女子の本懐」ではないのか。