古代天皇制と母系制社会の問題について、私がこれまで聞いた中で最も印象的で説得的だったのは、黒岩重吾が藤ノ木古墳の謎を解読したときの議論だったと思うのだが、残念ながら中身をよく紹介できるほど詳細を記憶していない。が、古代天皇制において母系的契機と父系的契機の両方が同時に並存して角逐する様相を呈していた点については、研究者の一致した歴史認識と言ってよいだろう。中根千枝は双系制社会という呼び方をしている。江上波夫的な騎馬民族征服説の視角をベースとして持っている梅原猛は、大陸から列島に侵入して土着する間に天皇家の母系的性格が色濃くなったという説を唱えている。神武が熊野から大和に入る際に三輪山の主の娘を娶る逸話があるが、この婚姻の形式は入婿であり、すなわち母系制に準拠順応した支配のあり方が示された逸話であると言うのである。さらにもう一人、戦前の高群逸枝の母系制社会研究と古代天皇制の「血の合一」論も見逃せない。説得的な理論だ。
これらを見ると、言うところのフィクションとしての「男系血統の万世一系」が、いかに明治以来の観念的伝統しか持たぬ脆弱なガラス細工でしかないことを考えさせられる。古代日本が母系制社会の原基を持っていたことは、わが国に十万を超える多種多様な姓があり、一方、父系制社会の古代から歴史を連ねている中国や韓国にはそれが二百とか三百しかない事実を捉えても歴然としている。私はフェミニズムの人間ではないが、母系制がなぜ男女平等と関係するのかと問われるなら、エンゲルスの家父長制革命論などを持ち出さなくとも、上代の歴史の中に数多くの女性たちがいて、彼女たちが艶やかな名前と彩り豊かな個性を持ち、人間くさい生きざまを記紀に残しているからである。だから黒岩重吾が面白い小説を書ける。覚えられぬほどの皇女の名前が氏族間の複雑な血縁関係の中に絡み合って登場する。黒岩重吾が記紀の世界を小説にするときは、宮尾登美子の平家物語のような名付けの苦労は要らない。
上代の世界、国生み神話から壬申の乱の頃までの日本史は、何とも男女平等的な雰囲気が私には感じられる。そのように表現するのが間違いなら、母系制社会の柔らかさと安らかさが感じられると言うべきだろうか。平安期はまだ紫式部や清少納言が活躍するけれど、時代が下るほどに日本史の男尊女卑は甚だしさを増して行って、ついに江戸期には教科書に登場する女性名が殆ど絶無になってしまう。江戸期は近代一歩手前の近世で、最近の右翼史観の説ではピカピカの近代社会らしいのだが、私の当時の教科書に出てきた名前は入口の春日局と出口の皇女和宮の二人きりであった。幕藩体制を作った人とその終焉を見届けた人の二人きり。充実した時間と空間を持つ江戸時代において、わずか女性二名のみとはあまりに淋しすぎる。その数は明治になって激増するが、平安から江戸までの日本史は女性にとって暗黒の世界そのものではないか。蛇足ながら、歴史教科書の世界も徐々にジェンダーの影響が出始めている。
ブログで前に紹介した『
未来をひらく歴史』はジェンダーな要素が加味されていて、これまで知らなかった女性の名前や女性解放運動に関わった者の名前が多く紹介されていた。前置きが長くなったが、今度の有識者会議の答申が国民に幅広く支持されている背景には、間違いなく美智子皇后の存在と人徳の大きさがあるだろう。美智子皇后への崇敬の念が女系天皇支持の世論を支えている。敢えて右翼の「観点」に立った物言いで脅かしてやるならば、今度の歴史的決定によって皇統は美智子朝に変わるのである。美智子朝が開闢するのだ。天皇制は時代に合わせて融通無碍に変身を遂げてきた。節目で大胆に変身を遂げてきたからこそ二千年の命脈を保ち得てきた。現在の国民は偉大な皇后陛下を尊敬し支持していて、美智子皇后の血で系統が続くことを希望しているのである。他の宮家の血筋ではなく、美智子皇后の直系の子孫が皇室を繁栄させてくれることを望んでいるのだ。美智子皇后は戦後日本の象徴である。
彼女はどこまでも優秀で、美しく聡明で、仕事のできる女性であり、良妻賢母の鏡であり、日本女性の憧れの存在であった。現在もそうである。浩宮徳仁をあのような立派な皇太子に育て上げたのは美智子皇后の渾身の教育による。国民はそれを知っている。ダイアナも彼女を心から尊敬し頼っていた。彼女のカリスマに勝てる人物は日本にいない。右翼が何千人束になって秤の右に乗っても、左に一人で乗った美智子皇后の重さにはかなわないだろう。右翼のナショナリスティックな万世一系の虚構のロマンよりも、美智子皇后の才気と人徳と民主主義思想に国民は心を寄せているのである。天皇制の中には上代からの母系制の便(よすが)と縁(ゆかり)がある。それは日本古来の伝統である。中国の皇帝制のコンプリートな男系主義とは違う。日本国憲法の象徴天皇制の中で、美智子皇后が皇室の母系的種子を再び発芽させ、大きく開花させたと言える。東京国際女子マラソンが始まったとき、舗道に出て小旗を振り声援を送っていた姿を思い出す。
ジェンダーでデモクラティックな美智子皇后のカリスマが新しい日本の伝統を作るのである。