はじめまして。STOP THE KOIZUMIを知ってから、こちらのブログをいつも拝見させていただいています。紀宮様結婚式に関しての文章には涙が出ました。現在の日本の天皇家は本当に気高く、美しいと思っていましたが、自分では具体的な表現が出来ないでいました。私が思っていた事が分かりやすく書かれていて、感動しました。現在の象徴天皇制は理想的な形だと思います。美智子様の苦労とご尽力、陛下の人間性によって、思いやりあう美しい家族を作り上げ、国民の前に示して下さっている皇室ご一家の存在は、とても大切だと思います。男系・女系もこだわる必要はないと思います。ただ、幼い愛子様の将来を、今決めてしまうのはまだ早いのでは…と、愛子様のあどけない笑顔を見ると胸が痛みます。女系天皇反対の女性のブログがありました。私はハンドルネームは男名にしていますが、女です。同じ女として、この方のような考え方には全く同調出来ません…。STOP THE KOIZUMIにも参加したいと考えていますが、知識不足でまだまだ勉強中な状態です。いつか参加出来るようになりましたら宜しくお願いします。
今日も頂戴したお便りを転載してご紹介するところから始めたい。少し女性週刊誌的な議論になるが、女性天皇と女系天皇の問題を早く決定した方がいいと考える理由のひとつは、現状を放置したままだと関係者、特に雅子妃に精神的重圧がかかり続けるという問題があるからだ。右翼の言うように男系維持で万事を固めてしまえば、それはそれで皇室関係者にとっては一応の問題解決になるのだが、男系維持の決定は政府として無理だろう。答申を覆せば女系容認を支持している国民、特に女性からの猛反発があるだろうし、旧宮家復活という面倒な問題に向かい合う必要が出る。皇室予算を膨張させる旧宮家復活には財務省が反対だろうし、女系天皇否定は野党を含めた全政党が賛成できまい。選挙で女性票を失う。女系天皇には様々な議論があるが、私は今回の有識者会議の女系容認の答申が小泉首相の意向の反映だとは思わないし、米国の指図に従ったものだとも思わない。有識者会議が忖度し深慮したのは、何よりも両陛下と皇太子夫妻の意向だっただろうと思う。
有識者会議(政府)は女性天皇を否定することは絶対にできない。不可能だ。女性天皇容認はデフォルトの決定事項である。これは最初から結論が決まっていた。次に女系天皇容認か女系天皇否定かの問題だが、女系天皇を排除すると、宮家を新たに創設して追加する措置を考えなければならない。これは歴史に逆行する動きで、政府内でも、政権内でも、国会内でも、国民間でも幅広い支持を得られない政策である。国民は現在の天皇皇后両陛下の直系で皇室が存続することを願っている。素性のあやしい戦前の宮家なるものが再び出てきて、俺のY染色体を信用しろと言っても、国民はその人格と権威を信用できないし、そうなれば皇室の威厳は一気に失墜してしまうに違いない。現在の皇室の信頼と尊敬の基盤は、明仁天皇と美智子皇后の二人が長い年月の努力で構築してきたものだ。国民はその信頼と尊敬の系譜がそのまま継承されることを望んでいるのである。国民統合の象徴たる天皇というのは、遺伝子以上に人格と気品が重要なのであり、それが民主主義国家である。
どれほど遺伝子が正統であっても、国事行為を含めて、天皇が国民の前で模範者として立ち振る舞わなければならない日本国においては、皇位継承は国民に人格と権威を問われる人気投票に近い実質を持たざるを得ない。国民の支持なしに(遺伝子だけでの)皇位継承は許されない。仮にだが、愛子妃が将来の天皇たるに不適格な人格であったならば、政府は有識者会議を招集して、例えば秋篠宮の娘に皇位継承させるように典範を改正するか、あるいは女性天皇すら認めず宮家の追加創設に踏み切っただろう。皇位継承は天皇家だけの血の問題ではなく、国家と国民の模範者選びの重大事だからである。すなわち、女性天皇というのは愛子妃を次の次の元首に定めるという決定であり、女系天皇というのは、次の次の次の元首を愛子妃の長子にするという決定である。もし不測の事態が起きて、愛子妃の結婚や結婚する男性に不具合があったり、そこで誕生した子供に問題があった場合には、そのときの政府はすぐに典範を改正して適当な皇位継承者を見つけようとするだろう。
今回の答申の意義は、ひとつは現在の天皇皇后両陛下の直系で将来の象徴天皇制を受け継いで行くという事だが、もうひとつは初めに述べた皇室に嫁いだ女の人権を守るという事だと思う。皇室に嫁いだ女を「男を産め」という強制や脅迫や抑圧から解放するということである。二千年の男系皇統の伝統よりも一人の女の人権を優先したという判断であり、それを誰より希求していたのが皇太子夫妻と天皇皇后両陛下だということだろう。皇室の人間には人権が無いからかわいそうだと人は一般論で簡単に言う。特に左翼方面の者たちは軽くそれを言い、天皇制廃止を安直に口にする。象徴天皇制を維持しながら、皇室の中でその責任と役割を背負って生きている人間たちの人権をいかに実質的に確保するかを考えない。本当は国民はそれを考えなくてはいけないのではないのか。答申を両陛下と皇太子夫妻の人間としての叫びとして受け止めるべきだ。どうか自分たちにも憲法の下での人権を認めてくれと求めているのだ。雅子妃は重い決断をして皇太子の妻となる運命を選んだ。そして後継ぎ出産の重圧のために精神と身体を病んだ。
皇太子はそのことに人間として重い責任を感じている。それなら最初から皇室なんかに嫁がなければよかったじゃないかなどと我々が言えるだろうか。それはあまりに無責任な言い方だ。人の人権を第一に考えれば、女系天皇容認(双系制)は当然の結論ではないのか。