人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本と映画と政治の批評
by thessalonike2


access countベキコ
since 2004.9.1


















The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら
The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら_e0079739_13414015.jpgジョンレノンの曲は全部好きだが、その中で特に触れたいのは「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」で、この曲が長い間ジョンのベスト盤の選曲から洩れていたことが、消費者としての私の不満だった。最近ようやくその不具合が解消されたという情報を耳にして、それは一般にはとても結構なことなのだけれど、個人的には時すでに遅しの感が強く、痛痒な思いを禁じ得ない。いい感じの曲と詞なのである。特に歌詞がよくて、ジョンは詩作の天才だが、韻がいい。最初の一節では Irish、wish、should、Englishが並び、摩擦音(sh)の連続が印象的な響きを醸し出している。二節目にはthousand、hunger、land、wonder、brigands、Goddamn が配され、撥音(an)が反復されている。特にlandが句末から句頭に連続して引き継がれ、この技法が万葉集のようで、私の心を蕩けさせ興奮させる。一節目に並ぶ「sh」の摩擦音は、日本語ではあまり耳にしない刺激感があり、それが続けて耳に刺すように感じると、何か不吉な予感がするのだが、実はそのジョンの不吉な摩擦音の連発は、作品のモチーフとメッセージを暗示していることに気づくのである。



The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら_e0079739_13411984.jpg歌詞の内容が進むほどに不吉な予感は現実になり、torture、hunger、rape、kill、pain、hell、genocide の言葉で暗黒の歴史が告発されてゆく。「sh」の摩擦音の連続を印象的にイントロに配置して、聞く者の心を不安に導くジョンの技法は、「カム・トゥゲザー」の極端な前例があった。それがここでも効果的に再現されているのだ。全体として美しいバラードであるこの作品の、アイルランドの自然と未来の希望を歌い上げているパートはヨーコに歌わせ、苦痛と汚辱の歴史と政治を告発するパートをジョンが受け持つという構成の配慮をしている。何と言ってもこの作品が収められているアルバムが1972年の「サム・タイム・イン・ニューヨーク・シティ」で、そうなるとヨーコが登場しないわけには行かないが、最初に曲を聴いたときの感想は、せっかくの名作に勿体ないことをしてというネガティブなものだった。今では、何百回も聴いた後だから、二人の歌として完成されたイメージが固まっている。「サム・タイム・イン・ニューヨーク・シティ」は前衛的な性格の強い作品で、こんな美しい曲が入っているという情報がなく、そのため埋もれた名曲だった。

The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら_e0079739_13415141.jpg欧米でこの曲に光が当らなかった事情は、きっと歌詞の問題があったはずで、今なら「テロリストに加担するのか」という非難を受ける内容を持っている。東芝EMIの誰か気の利いた人間がヨーコと話をして、この曲を日本限定でシングルカットしてセールスすればよかったのだ。同じ時期に同じような曲としてポールマッカートニーの「アイルランドに平和を」がある。この曲は英国では発売禁止になったが、日本では洋楽のヒットチャート第1位を快走した。解散したビートルたちが大活躍していた季節であり、ジョージハリソンの「マイ・スウィート・ロード」も同じく長期間ヒットチャートの第1位を独占していた時期があった。解散を惜しみ、人々がビートルの歌を聴きたくてたまらない時だったのだ。「アイルランドに平和を」は抜群にいい歌だった。何と言っても歌詞が聞き取りやすい。中学生の低学年の耳で誰でもわかる。ポールはジョンと較べて歌詞のメッセージに劣ると言われているけれど、この曲の叩きつけるようなストレートな歌詞は最高にいいし、それから十年後の「パイプス・オブ・ピース」も素晴らしい。が、この当時、残念なことに二人はとても仲が悪かった。

The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら_e0079739_13543296.jpgポールの「アイルランドに平和を」をジョンは歌詞が幼稚すぎると言って批判し、批判を作品で証明するかの如く、この「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」を対置して提示した。確かに歌詞は「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」の方が意味が深く、知的で、はるかに水準は高い。ジョンとポールの差が出ている。特にアイルランド系の民族的自負を持っていたジョンは、この問題ではポールに負けられないという意識があったのだろうか。そういうことに思いを馳せると、かえすがえすも「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」が日本でシングル発売されなかったことが口惜しい。発表されていればヒットチャートの1位になり、それこそ「イマジン」に匹敵するほどの印象で人々の記憶に残り、ジョンのベストアルバムには必ず入れなければならない一曲となり、その結果、この曲が世界中で知られて愛されることになっただろうし、アイルランドの人々の誇りにも繋がったに違いないのだ。そう言えば、北アイルランドの問題はポールの曲で初めて知った話だった。北アイルランド問題は、私は今でもよく分からないところがある。アイルランド共和国政府の対応と展望というのが未だに謎だ。

The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら_e0079739_16185270.jpg「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」で個人的に残念なことは、この曲を聴くのが遅かったために歌詞を暗記できてないことだ。口惜しい感じがする。仮にカラオケの中に入っても最早うまく歌うことができない。文字を追いかけながらだとカラオケは駄目だ。歌詞が頭に入ってないといけない。私が個人的に満足できる一曲は「ドント・レット・ミー・ダウン」で、これは納得して堪能できる。「ジョンとヨーコのバラード」も楽しめる。「スターティング・オーバー」と「ビューティフル・ボーイ」も可。ジョンはキーが高いから、歌える曲を探して慎重に選ぶ必要がある。それにしてもジョンのボーカルは本当に最高で、ジョンのおかげで不滅の名曲になっているロックンロールの曲は幾つもある。例えば「ロックンロール・ミュージック」がそうだ。「スタンド・バイ・ミー」も間違いなくそうだろう。他の人間のカバーではとても聴けない。ジョンだからあんな凄い曲になる。二曲とも聴くたびに心が躍る。「ツイスト・アンド・シャウト」もそうだ。「プリーズ・ミスター・ポストマン」もそうだが、カレンカーペンターの天才と挑戦がその神話を少し崩した。同じことはポールマッカートニーの「のっぽのサリー」や「カンサス・シティ」にも言える。ジョンとポールの不世出の天才の事実はそういうところでもよく分かる。

カラオケ行きたくなってきた。
The Luck of The Irish - 二十五年目の追悼を見送りながら_e0079739_13421411.jpg

by thessalonike2 | 2005-12-11 23:30 | 追悼ジョンレノン (6)
<< 二十五年目の回顧と追悼 - ジ... Index に戻る Don't Let M... >>


世に倦む日日
Google検索ランキング


下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます

本村洋
安田好弘
江田五月
馬渕澄夫
平沢勝栄
宮内義彦
田勢康弘
佐古忠彦
田岡俊次
末延吉正
古館伊知郎
横田滋
横田早紀江
蓮池薫
安明進
盧武鉉
金子勝
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
渓内譲
南原繁
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
ボナパルティズム
マルチチュード
レイシズム
レジームチェンジ
政治改革
新自由主義
B層
安晋会
護憲派
二大政党制
全野党共闘
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
日中共同声明
中曽根書簡
鄧小平
村山談話
国民の歴史
網野史学
女系天皇
母系制
呪術の園
執拗低音
政事の構造
政治思想史
日本政治思想史研究
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
ヴェラ・ザスーリッチ
薩長同盟
故宮
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
菜の花忌
イエリネク
アフターダーク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
偽メール事件
民主主義の永久革命
ネット市民社会

"