ジョンレノンの曲は全部好きだが、その中で特に触れたいのは「
ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」で、この曲が長い間ジョンのベスト盤の選曲から洩れていたことが、消費者としての私の不満だった。最近ようやくその不具合が解消されたという情報を耳にして、それは一般にはとても結構なことなのだけれど、個人的には時すでに遅しの感が強く、痛痒な思いを禁じ得ない。いい感じの曲と詞なのである。特に歌詞がよくて、ジョンは詩作の天才だが、韻がいい。最初の一節では Irish、wish、should、Englishが並び、摩擦音(sh)の連続が印象的な響きを醸し出している。二節目にはthousand、hunger、land、wonder、brigands、Goddamn が配され、撥音(an)が反復されている。特にlandが句末から句頭に連続して引き継がれ、この技法が万葉集のようで、私の心を蕩けさせ興奮させる。一節目に並ぶ「sh」の摩擦音は、日本語ではあまり耳にしない刺激感があり、それが続けて耳に刺すように感じると、何か不吉な予感がするのだが、実はそのジョンの不吉な摩擦音の連発は、作品のモチーフとメッセージを暗示していることに気づくのである。
歌詞の内容が進むほどに不吉な予感は現実になり、torture、hunger、rape、kill、pain、hell、genocide の言葉で暗黒の歴史が告発されてゆく。「sh」の摩擦音の連続を印象的にイントロに配置して、聞く者の心を不安に導くジョンの技法は、「
カム・トゥゲザー」の極端な前例があった。それがここでも効果的に再現されているのだ。全体として美しいバラードであるこの作品の、アイルランドの自然と未来の希望を歌い上げているパートはヨーコに歌わせ、苦痛と汚辱の歴史と政治を告発するパートをジョンが受け持つという構成の配慮をしている。何と言ってもこの作品が収められているアルバムが1972年の「サム・タイム・イン・ニューヨーク・シティ」で、そうなるとヨーコが登場しないわけには行かないが、最初に曲を聴いたときの感想は、せっかくの名作に勿体ないことをしてというネガティブなものだった。今では、何百回も聴いた後だから、二人の歌として完成されたイメージが固まっている。「サム・タイム・イン・ニューヨーク・シティ」は前衛的な性格の強い作品で、こんな美しい曲が入っているという情報がなく、そのため埋もれた名曲だった。
欧米でこの曲に光が当らなかった事情は、きっと歌詞の問題があったはずで、今なら「テロリストに加担するのか」という非難を受ける内容を持っている。東芝EMIの誰か気の利いた人間がヨーコと話をして、この曲を日本限定でシングルカットしてセールスすればよかったのだ。同じ時期に同じような曲としてポールマッカートニーの「
アイルランドに平和を」がある。この曲は英国では発売禁止になったが、日本では洋楽のヒットチャート第1位を快走した。解散したビートルたちが大活躍していた季節であり、ジョージハリソンの「マイ・スウィート・ロード」も同じく長期間ヒットチャートの第1位を独占していた時期があった。解散を惜しみ、人々がビートルの歌を聴きたくてたまらない時だったのだ。「アイルランドに平和を」は抜群にいい歌だった。何と言っても歌詞が聞き取りやすい。中学生の低学年の耳で誰でもわかる。ポールはジョンと較べて歌詞のメッセージに劣ると言われているけれど、この曲の叩きつけるようなストレートな歌詞は最高にいいし、それから十年後の「パイプス・オブ・ピース」も素晴らしい。が、この当時、残念なことに二人はとても仲が悪かった。
ポールの「アイルランドに平和を」をジョンは歌詞が幼稚すぎると言って批判し、批判を作品で証明するかの如く、この「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」を対置して提示した。確かに歌詞は「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」の方が意味が深く、知的で、はるかに水準は高い。ジョンとポールの差が出ている。特にアイルランド系の民族的自負を持っていたジョンは、この問題ではポールに負けられないという意識があったのだろうか。そういうことに思いを馳せると、かえすがえすも「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」が日本でシングル発売されなかったことが口惜しい。発表されていればヒットチャートの1位になり、それこそ「イマジン」に匹敵するほどの印象で人々の記憶に残り、ジョンのベストアルバムには必ず入れなければならない一曲となり、その結果、この曲が世界中で知られて愛されることになっただろうし、アイルランドの人々の誇りにも繋がったに違いないのだ。そう言えば、北アイルランドの問題はポールの曲で初めて知った話だった。北アイルランド問題は、私は今でもよく分からないところがある。アイルランド共和国政府の対応と展望というのが未だに謎だ。
「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」で個人的に残念なことは、この曲を聴くのが遅かったために歌詞を暗記できてないことだ。口惜しい感じがする。仮にカラオケの中に入っても最早うまく歌うことができない。文字を追いかけながらだとカラオケは駄目だ。歌詞が頭に入ってないといけない。私が個人的に満足できる一曲は「ドント・レット・ミー・ダウン」で、これは納得して堪能できる。「ジョンとヨーコのバラード」も楽しめる。「スターティング・オーバー」と「ビューティフル・ボーイ」も可。ジョンはキーが高いから、歌える曲を探して慎重に選ぶ必要がある。それにしてもジョンのボーカルは本当に最高で、ジョンのおかげで不滅の名曲になっているロックンロールの曲は幾つもある。例えば「ロックンロール・ミュージック」がそうだ。「スタンド・バイ・ミー」も間違いなくそうだろう。他の人間のカバーではとても聴けない。ジョンだからあんな凄い曲になる。二曲とも聴くたびに心が躍る。「ツイスト・アンド・シャウト」もそうだ。「プリーズ・ミスター・ポストマン」もそうだが、カレンカーペンターの天才と挑戦がその神話を少し崩した。同じことはポールマッカートニーの「のっぽのサリー」や「カンサス・シティ」にも言える。ジョンとポールの不世出の天才の事実はそういうところでもよく分かる。
カラオケ行きたくなってきた。