下のような投稿を頂戴した。「世に倦む日日」には海外からのお便りが多い。多いだけでなく、海外からのお便りの方に熱がある。熱はきっと危機感なのだろう。日本を愛し、日本のことを深く心配しているのだ。現在の日本と日本人がどのような存在であり、どのような状態であるかは、中にいる人間よりも外にいる人間の方がよく見えているのに違いない。例えば、後世に歴史となって書かれる日本の、ここ二十年間の姿というのは、その「歴史像」は、国内にいる者より国外にいる者の方が正確に見通しているだろう。人材は外にあり内になし。その感を強くする。今の日本人は自らの知性と品格のレベルを落とす集団自殺行動みたいなことを一生懸命やっている。自分たちの能力と可能性を落として無能者に近づく運動をやっている。誇りを失うことが目標であるかのような生き方をしている。誇り高く生きようとする人間の足を引っ張ることばかりやっている。志(こころざし)を持っている日本人は、皇室と海外居住者だけなのではないか。
渡米して30年、ここ15年はNYCに住んでいます。毎日貴兄のブログ更新を楽しみに、食い入るように読んでいます。普段ヴィジュアルデザインの仕事なのでモニターを見すぎていて、もうこれ以上モニターから直接文字を読みたくないと思っているのですが、「世に倦む日々」だけは別。ぐいぐい引きずり込む貴兄の文章にいつも感激しています。ジョンの連載が始まった12月8日、散歩がてらストロベリーフィールズに行きました。週はじめの雪が残っていてかなりの冷え込みでしたが、狭い広場は身動きできないほどの人であふれ、ジョンの曲をつぎつぎと合唱しています。彼の死から四半世紀を経て、世界はまだ悲しみに包まれつづけ、戦争を拒む悲痛な声--人間としての基本的な声が彼の歌を歌いつづけます。司馬先生も再三言われたように、歴史に「もし」は無いんだけれど、たった一人の人間のあのほとんど無意味といってもいい死がなかったら、湾岸戦争,9-11からイラク戦争は大きく姿を変えていたと思います。
仕事の用事でオノヨーコ氏とは入れ違いになりましたが、友人のフォトグラファーの話では、ロールスロイスが去って多数のパパラッチたちを撒き、その後かわいいベレー帽をかぶって、少人数のとりまきとともに歩いて登場したそうです。学生時代、彼女がジョンと仲良くなる以前のハプニングと称する彼女のイヴェントを京都会館で体験しました。90年代初頭にはセントラルパークで息子のショーンとフリーコンサートがありました。歌のなかで彼女は怒りつづけ叫びつづけ、当時3歳のわが娘はその叫び声に目を丸くし硬直し唖然とし、それでも娘はフラストレーション以外の何か大きなものを感じたようです。25年前のジョンが死んだ日にはサンフランシスコで、お気に入りのグレートフルデッドの頭目、ジェリー・ガルシア・バンドのコンサートに行っていました。”He’s gone”という曲でジェリーはどこか彼方を見つめつづけ、彼の人生を賞賛し、彼の死そしてその後の世界への絶望を詠いあげました。戦友の死。
来週のクリスマスパーティは例年通りアメリカ人ばかりのスタッフとカラオケに行きます。驚くほどの英語の曲があり(日本でも同じなのでしょうが)馬鹿声を張り上げてビートルズナンバーを歌い、戦争屋の悪魔たちを追い払う儀式です。thessalonike2さん! 今度NYCにいらっしゃったら、ぜひカラオケに行きましょう。ジョンの連載に感激しましたので、失礼悪しからず。
ずっと前に、一度だけしか行ったことがないが、ニューヨークはコンセプチュアルなキラッとしたいい街だった。街と街を歩く人が世界中でいちばん絵になるのはニューヨークだと思う。格好がいい。ビルも街路も店も人も視界の空間がキマっていて絵になっている。個と部分と全体のバランスがいい。他の都市とは違う。東京のようにアンバランスじゃない。よく、テレビに出て来る歌手や女優について、実物を見たらテレビで見るよりずっと細くて顔が小さくて美人だったよ、などというような言い方をわれわれはする。それと同じで、映画でよく見るニューヨークは、しかし実物はあれより何倍もいいのだ。映画のセットとして具合よく使える街なのである。街を歩く人も、ひとりひとりに個性とセンスと緊張感とインテリジェンスを感じる。崩れた感じや萎びた感じがしない。人がすべて目的を持っている。都市的な都市だ。ニューヨークの中で緊張感がないのは、きっと日本や中国から来た団体観光客の人間だけだろう。
中央駅の上にあるグランドセントラルという立派なホテルに宿泊させてもらって、そのとき初めてカードキーを経験した。マイクロバスに乗って市内を廻ったときにダコタアパートの前を通った。セントラルパークと道路一本隔てて隣り合っているような一等地だった。ダコタ州(?)が合衆国領になった年に建造されたからこの名が付いたとか、場所がマンハッタン島の北の辺鄙なところだったからダコタになったとか、そういう話を案内してくれた現地の人から聞かせてもらった。クラシックな建物だった。ウォールストリートまで南下して、WTCの最上階にあるレストランで食事をした。自由の女神像を見下ろしながら食事できる贅沢な店で、名前は確か「TOP OF THE WORLD」だったように覚えている。誰彼なく披露してきた自慢話だったが、四年前のことがあって嬉々とした口調では言えなくなった。自慢話にもならなくなった。あのWTCがあってこそニューヨークは絵になる。絵のバランスが少し崩れた。人はどうなのだろう。
いつかまたニューヨークへ行きたい。