民主党党大会のニュース映像で印象的だったのは、前原誠司が閉幕の挨拶をするときに、所属国会議員が演壇の背後に階段状に並んで、前原誠司の背景を構成する映像演出をしていた場面であった。毎日新聞の記事ではそれを党の「団結感」を演出するための工夫だと書いていたが、実際の映像を見た印象は、団結感とは逆の雰囲気が重たく漂っていた。議員たちが若くて軽い前原誠司の背景の一部になるのを嫌がっているように見えたのである。テレビのカメラが回っているとき、枝野幸男は不服そうな様子で下を向いていた。幹部は下の席に一列に並んでいたが、いつものように元気だったのは羽田孜だけで、他の連中の表情は暗く、菅直人は首を傾けたまま目を閉じて居眠りしていた。菅直人のあのようなルーズな映像は珍しい。撮影を意識してわざとそういう絵を撮らせたのか、それとも居眠りしているのをカメラマンが見つけて、今回の党大会を象徴する映像として撮ったのか。
もう一つ感じたのは、民主党って思ったより老けているなあという印象で、壇上で前原誠司の背景を構成していた一個一個の顔にくっきりと加齢が浮かび上がっていた。私のこれまでの印象では、政党の中で最も若くて精悍だったのが民主党だったが、今度の選挙を契機として自民党と民主党の若さの印象が逆転している。自民党の方が民主党より明らかに若い。私の場合、民主党の清新なイメージは、98年頃の金融危機の際に、銀行国有化を含む不良債権問題の抜本解決を政策化して提言していた議員たちとか、その当時にスピード感のあるラディカルな金融改革や行政改革を論じていた若い議員たちの姿に象徴されている。あれからもう七年も経ったわけで、人もそれだけ年をとったという事だろうか。当時は「改革」のシンボルを民主党が独占していたが、小泉内閣が登場した五年前以降、特に今年は、自民党がすっかり「改革」シンボルを占断する政治状況に変わってしまった。
中国を現実的脅威だと言ったのは、訪米先で点数を稼ごうと逸(はや)った勇み足だった違いない。米国の政界にリップサービスをして人気取りを狙ったのと、本来のタカ派のネオコン思想がポロッと表出してしまったのだろうが、立場をわきまえず、結果的に失敗の裏目に出た。だが、失言したならその時点で取り消せばよかったのである。真意はそうではなかったとか、間違って受け取られたとか、政治家ならいくらでも取り繕いの方便はある。中国政府と民主党内に対して態度で撤回を示せばよかった。ところが性格偏屈な前原誠司は、批判されても意固地になって反省せず、逆に失言の上に胡坐をかいて開き直る倣岸な態度に出たのである。この男は強情頑迷で、一見して政治家の資質を著しく欠いている。政治家は果断でなくてはならないが、それは自己の感情を直接的に流出することではなく、感情のままに行動することでもない。前原誠司を代表に選んだ若手議員たちの失望は小さくないだろう。
前原誠司は小泉流のリーダーシップとトップダウンを志向しているらしいが、そこには履き違えがある。小泉首相の場合は、まず国民的な人気と支持の背景があって、その政治基盤の上で党内で独裁権力を執行できたのである。独裁が人気に先行したわけではない。さらに前原誠司が読み違えていると思われるのは、今度の選挙で民主党を支持して一票を入れた国民が民主党に何を期待しているかという問題だ。新代表である前原誠司に小泉首相の真似をして欲しいと望んでいると思っているのだろうか。現在の前原誠司は、経済政策は新自由主義で竹中平蔵と同じ、安保外交は米国盲従の中国敵視で安倍晋三や麻生太郎と同じ。そして党運営は小泉流の独裁の模倣。どれを見ても自民党の路線や手法と同じなのであり、単に速度と純度を競って売りにしているだけだ。今回の選挙で民主党に一票入れた人々は、そうした自民党の政策や小泉流の手法を嫌忌したり拒絶した人々ではなかったのか。
だとするなら、前原誠司は、今度の選挙で民主党に一票入れた支持者の期待や意向とは全く逆の政治をやろうとしているということになる。小泉政治との対立軸などできるはずもない。今回、右からは東祥三が、左からは赤松広隆と角田義一が、テレビカメラの前で公然と前原誠司を批判していたが、見るかぎり彼らの表情には自信と余裕があり、来年9月の代表選では前原誠司の再選はないだろうという前提と現執行部への明確な対決姿勢が感じられる。今度の代表選はサポーター票が入るから菅直人や左派には不利だという指摘もあるけれど、仮に鳩山由紀夫が金でサポーター票を動員できたとしても、果たして右派全体が前原誠司で纏まることができるかどうか。小沢一郎は鳩山由紀夫に次の代表選に出馬するよう促したと言われている。これらの状況を読むと、来年の代表選は波乱含みで、私は前原誠司が若手(ネオコン松下政経塾グループ)を引き連れて自民党に合流する可能性がかなり高いと考えている。
関連するお便りを頂戴したので転載して紹介する。
(略) さて今日の話題の前原氏の問題ですが、二、三日前の毎日新聞も鳩山幹事長が彼の発言に苦言を呈していた記事を載せていました。(私はウェブ版で見ました。)党内ガス抜きにせよ、普通鳩山氏のような後見役は若手ボスを庇うのが普通です。また庇ったにせよ、その部分を毎日がはっきりと載せないということは、彼らも前原氏から距離を置き始めたことを意味します。その他自民党側の人々の発言やネットでの意見を見るに、緩慢ながら事態は自民党と民主右派との大連立、または統一会派結成に向けて動いているようにも思います。これは民主党を今まで支持してきた者の少なくとも大半に取っては裏切りですが、可能性としては充分予想出来ることではありました。
この方がむしろ不透明性が減じて良いようでしょう。政治不信をあおりかねず不安ですが、そこは政権党が劇場効果などで乗り切るのが目に見えるようです。それにしても菅直人氏の最近の疲れた様子や、「団塊党」などの韜晦ぶりは残念です。代表選に渋々出てあのやる気ない立会演説でも二票差に前原氏に迫ったのですから、最後の力を振り絞り大演説でもぶてば反対に二、三票差で勝ったかもしれません。これもカリスマ不在の例なのでしょうか。今「かもしれない」を重ねねばならないのは残念ですが、何時何が来るかを考えつつ過去に学び、歴史的な「創造的想像力」(アンリ・コルバン)または構成的想像力を鍛える必要があることを最近痛感しています。