民主党というのは常に自民党との対立軸をどうするかで悩んでいる。十年間、毎日毎日、自民党との違いは何かを自問自答して悩み続けている。対立軸を言葉で表現するのに四苦八苦している。そして対立軸を表現する言葉なるものは、基本的に曖昧なまま、時間の経過とともに次々に変化して行って、恰も商品を宣伝するCMコピーのような内実と様相になっている。最近の民主党は、福祉国家でも新自由主義でもない第三の道という表現で党の基本路線を訴求するようになったが、この概念はつい最近のもので、いかにも政策スタッフの誰かが鉛筆を舐め舐めして創案したプロモーショントークの如き印象があり、説得力が薄く、言葉に信頼感や安定感がない。あとニ年もすれば党内で誰も言わなくなる言葉であり、二年前はあんな言い方をしていたなあと(前原誠司の顔とともに)回顧されるような瞬間的で泡沫的な政治言語である。見たところ、代表の前原誠司自身が、それほど一生懸命に「第三の道」に執着しているようには見えない。
「第三の道」論の説得力の薄弱性や一時的な方便性を、前原誠司本人がよく承知しているように見える。中身を理論的に肉付けしようと焦っていない。前原誠司の関心は、基本路線における自民党との対立軸の概念と定置ではなくて、党内左派をいかにして切り捨てるかであり、内政は新自由主義の「改革」路線で、安保外交は改憲と対中対決の右翼路線で党を純化させるかである。自民党との対決ではなくて、党内の権力闘争の方に熱心である。さて、目指す政策の中身が自民党と全く同じものになり、対立軸を訴求しようにも訴求できなくなるのとパラレルに、民主党の内部で起きている思想現象は、政権交代という言葉が金科玉条的なイデオロギーになっているという事実である。民主党は何をめざす党かを問われて、条件反射的に「政権交代をめざす」と答えている。政権交代そのものに価値と意味があるかのような語調になっている。目的と手段の転倒。本来、手段であるはずの政権交代が目的になっている。政権交代の自己目的化。
政権交代の物神崇拝。実はそれには理由があって、政権交代という言葉以外に他にレゾンデートルを説得的にプレゼンテーションできる言葉がないのだ。国民の前で民主党が自己をアイデンティファイするときに、最もシンプルでパースエイシブな言葉が「政権交代」なのである。だから、具体的に言い始めると訳が分からなくなる対立軸論は無理に説明せず、簡潔に「政権交代をめざす党」だとのみ繰り返すのだ。で、民主党が対立軸論で頭を悩ませ続けなければならない理由についてもう少し踏み込むと、それは自民党が民主党が掲げる政策標語を次々とパクって自分のものにするからである。現在の竹中平蔵の新自由主義「改革」路線は、本来は民主党の松下政経塾の連中が掲げていた政治路線だった。「構造改革」は小泉首相が登場する以前は民主党の看板だったのである。パクられたのだ。その前の行政改革も財政改革も、それを声高に言っていたのは民主党で、嘗ての自民党は民主党の「改革」の挑戦に対して受身の立場に立っていた。
現在の一般表象では、自民党と民主党との間に政策上の相違がないのは、前原民主党が小泉自民党に接近したからであるかのように観念される。が、少し時間軸を長く捉えて十年間の政治全体を俯瞰すると、自民党の方が民主党本来の新自由主義「改革」路線をパクってきた事実を発見するだろう。十年間、政権交代は実現しなかったが、自民党の政策転換は行われたのである。福祉を切り捨て、地方を切り捨て、失業と増税で格差社会を実現する新自由主義の政策理念は、小泉首相と竹中平蔵の手で見事に実行実現されている。前原誠司には内政上の政策構想は特にないが、この男が政権を取ればどのような内政を具体化するかは、中田宏の横浜市や松沢成文の神奈川県を見ればよく分かる。松下政経塾生の治国平天下は同じである。政権党である自民党は民主党の「政策」をパクり続ける。だからパクリと対立軸論は表裏一体の問題なのであって、それが本質なのであって、だから民主党の対立軸論というのは不毛で無意味なのだ。
それでも、対立軸としてこれまで唯一説得的だったのは、菅直人の存在と言説であった。菅直人の存在があったから、民主党は自民党との違いを国民に説得できた。実体のある対立軸は菅直人そのものなのだ。菅直人は絶対に自民党化しない。そのことを国民は知っている。民主党の「改革」に自民党とは異なる積極的な相違と意義を見出すなら、それは菅直人が強烈に主張する「政官業の癒着の打破」だっただろう。具体的には官僚の天下りの禁止とか、政治資金規正法の厳正適用による賄賂の撲滅とか、官製談合の一掃とかである。自民党にはそれがない。また政官業の癒着構造の一部である松下政経塾生にもそれがない。そうした菅直人の思想がこれまでの民主党の「政権交代」の標語の中にはあった。国民が民主党の「政権交代」に期待して一票を投ずるときの中身になっていた。今回、前原誠司が代表になった時点で、民主党の「政権交代」の標語から菅直人の思想が落ち、「政権交代」は単に「政権に就きたい」という松下政経塾の野望だけになった。
民主党に教えてやるならば、民主党の「政権交代」の主張を説得的なものにするためには、菅直人という人間を代表に据え置くしかないのだ。