読書ブログだった『世に倦む日日』が、すっかり政治ブログに変貌を遂げ始めたのは、その一つの契機は4月に起きた中国の反日デモの衝撃だった。最初に書いた『
中国の対日不信』は我ながらお気に入りの記事の一つで、いま読んでも作品として納得がいく。その次に書いた『
ファシズムの中の「反日」』もまずまずの佳作ではないかとひそかに自惚れている。この頃は『世に倦む日日』は無名ブログだった。ジョンレノンは、息子のジュリアンが音楽家として活動を始めたときに、アルバムを作るときはその中の一曲一曲の全部がシングルヒットするように心掛けて作らなきゃいけないよと諭している。このジョンレノンのアドバイスは、ブログで一日一個の記事を生産する私自身の座右でもあり、心掛けとしてはそれに忠実に従っているのだが、現実のプロダクトには濃淡優劣がある。その日の体調にもよる。私の場合、文章に対象化する想念が、そのとき無理に捻り出したものではなく、過去からずっと脳裏に引き摺っているものを表現にするときの方が作品として出来がよい。
五年前に単身で中国を旅し、西安で一人の友人を得て、ウイグル系のイスラム教徒の人々が多く住む北院門街で酒を酌み交わして熱く懇談した。中国関係の記事を書くときは常に彼のことが念頭にある。彼との一夜の酒宴と議論のことが頭の中に浮かび上がって離れない。彼が私を北院門街に案内したのは、西安市がそこを観光開発して外国人(特に日本人)用に売り出そうと考えていたからだと思うが、その前後からTBSの『世界ふしぎ発見』など、西安を題材にした番組では必ず夜の北院門街が撮影されて紹介されるようになった。そこは現地の中国人にとっては、われわれにとっての横浜の中華街と同じで、異国情緒溢れる空間なのである。唐代に西域からやってきた胡人の子孫が千年以上そこに住み着いて商売をしている。外国人を一般的に案内するにはまだ衛生上の面で少し問題があるんですよと彼は言っていた。薄汚い感じだったが活気のある小さな店に入り、銀皿の上に山盛りに出された羊肉の串焼をくわえながら、熱い熱い議論が始まった。
それは本当に熱い渾身の議論だった。私は同じような深い感動的な話をもはや日本人とは二度とできないと思われたし、現にこの五年間できていない。中国共産党は今後どうなるのか、社会主義市場経済は今後どうなるのか、彼は率直に、横にいる彼の部下が驚くほど大胆に、ありのままを私に語ってくれ、そして私が返す一言一句に真剣に耳を傾けていた。あのとき、私は文章を書き述べるように構文を作って説明をした。だから何を喋ったかを今でも鮮明に覚えている。記録に残っても間違いのないように、単語を一つ一つ並べるようにして話した。日本語ができて、壮年期世代で、中堅エリート幹部クラスの中国人というのは、本当に思想的感性の面で私と全く同じなのである。不思議なほど感じ方や考え方が同じなのだ。彼にとっても私にとっても現在の日本が理解不能であり、彼にとっても私にとっても現在の中国の若い世代は違和感を覚える存在なのである。二人にとって日中友好(中日友好)こそが全てであり、それが信念であると同時に疑えない経験的事実なのだ。
彼は日本の右傾化を深刻に憂いていて、それは私も全く同じで、二人の話は当然その難問に収斂して行った。「日本はこれからどうなるのでしょう。日本の右傾化は止められないのですか」。それは質問であると同時に意と熱のこもった懇請であり、もっと良心と良識を持った普通の日本人が、政権や右翼を押さえ込むように努力して欲しいという要望の表明だった。彼は日本語と日本との関係で人生を築いた男だった。彼が成人して仕事を始めてからの中国は、すなわち中日友好から改革開放の時代の中国であり、彼の社会的ステータスは、訪日と帰中を繰り返して実績と人脈を築く中で積み上がって行ったものだった。彼がこれまで接してきた日本人は、皆、心から日中友好の立場の者たちであり、井上靖とか平山郁夫を小型版にしたような、中国の歴史と文化に憧憬を感じる知性を持った人間だった。日本が右傾化するのは彼には不幸と困惑の事態であり、彼がこれまで接してきた普通の日本人が、何故この悪い政治の流れを止めないのかと焦燥していたのである。
聴き込む彼に、私はこう答えた。「もっと右傾化が進むと思います。憲法も変えられると思います。本当に申し訳ないことだけれど、私には日本の右傾化を止める力がありません」。彼と彼の若い部下は沈黙した。若い部下の方は、「そんな簡単に諦めた言い方をしないで下さい。何とかならないんですか。軍国主義の日本に戻ってもいいんですか」とそう言いたげな感じの、複雑な表情で私を見ていた。日本人として、友人である彼に私はそういう言い方をするしかなかった。正確な見通しを告げて対処を促したいという気持ちがあった。事の重大さをそのままにリアルに直視して欲しいという意味もあった。五年経ち、あの一夜の歓談を、私と同じように彼も反芻してくれているだろう。彼が中国共産党についてどのように語ったかはここでは書かない。日本に帰ってきてから、私は彼に宇多田ヒカルと浜崎あゆみのベストCDを二枚小包で送った。世話になったお礼だったが、彼の一人っ子の娘がこの二人の曲が大好きで、家の中で日本の流行音楽の話ばかりするんですよと彼が言っていたからだった。
西安にまた行きたい。
何 情 両 今
日 勢 人 夜
復 憂 對 西
日 傷 杯 安
中 心 胡 一
友 深 店 片
好 甚 酒 月