堀江貴文という玉を敵の手に渡さないことが選挙戦必勝の条件だった。堀江貴文
出馬で小泉自民党の刺客作戦は「小泉劇場」として完全な絵になった。マスコミが演出報道する上で最適の素材になったのであり、これまでの政治手法である「改革vs抵抗勢力」の典型像を再現する構図になった。それは小泉首相自身の成功法則でもあった。片山さつきや佐藤ゆかりの刺客ギャルだけでは完全な絵にはならなかった筈だ。刺客ギャルは刺身のツマであり、ワイドショーのネタにはなっただろうが、有権者が彼女たちが語る言葉を積極的に聴こうとしたわけではない。小泉劇場選挙の主役は堀江貴文であり、メッセージは堀江貴文の口を通じて発信されたのであり、その正当化は、敵役である
亀井静香の要領を得ない発言の繰り返しによる逆効果によって自動的に担保され増幅される仕組になっていた。亀井静香の存在としての悪役ぶりが逆反射して堀江貴文を正義役の改革の旗手に仕立てていた。
テレビカメラの前の亀井静香は印象として倣岸で謙虚さを欠いていた。亀井静香も小林興起も選挙戦序盤では小泉首相の党内政治手法への批判ばかりを声高に言い上げ、肝心の郵政民営化がなぜ問題なのかを国民に説得することができなかった。国民新党や新党日本が結成されてからは、彼らの郵政民営化反対のトーンはさらに後退し、むしろ共産党や社民党の方がそれをリードして、選挙戦中盤では郵政民営化反対は左翼陣営の政策スローガンの如く化けていた。参議院本会議で多数を制した正論は、かくして異端の主張になった。結果的に、民主党や造反組の郵政民営化反対論は、理念や政策にコミットした政治行為ではなく、単なる権力闘争の道具だったという結論に固まって行った。選挙戦中盤以降、郵政民営化反対組の腰砕けが顕著になり、野田聖子がその典型例だったが、なりふり構わず選挙区で当選して、後は小泉首相に命乞いを請願するという哀れな展開になった。
民主党の中では郵政民営化に対する態度が実際のところは曖昧で、左派は政策的に反対だったが、右派の新自由主義者にとっては自らの政策だった。民主党が国会で郵政民営化に反対したのは、それが政局(権力闘争)だったからである。郵政民営化を選挙の争点に据えた自民党のコミ戦チームは、その民主党の矛盾を衝く作戦に序盤から動いて、菅直人に竹中平蔵をぶつけ、「菅さん、それじゃお聴きしますが、民主党は郵政民営化に賛成なんですか反対なんですか」の寸劇に一点集中した。受身に立った菅直人の「郵政民営化には反対ではないが法案には反対」の反論は説得力と迫力を欠いた。最もホットな争点、すなわちB層選挙民にとって分かりやすい争点はそこに収斂し、同じ論法を古館伊知郎が使い、みのもんたが使い、中立が前提であるはずのマスコミが野党民主党の矛盾を暴露し批判するという報道姿勢が固まり、中盤以降、選挙の結果が不可抗力的に押し固められて行った。
苦しい選挙戦になった中盤、民主党は中身として遂に自民党より過激な民営化策を打ち出し、さらに矛盾を克明にする結果となったが、コミ戦の方は岡田克也を中心にそれなりに体制を再構築しているかに見えた。序盤は滅茶苦茶な印象があった。報道番組に出演した主軸はむしろ菅直人と小沢一郎で、小沢一郎はその場の即興で好き勝手な発言をしていたし、菅直人も民主党の政策決定のオーナーシップは自分にあるかのような口調で、いかにも岡田克也が雇われ党首であることを国民の前に印象づけていた。民主党は、自民党の分裂選挙になったこの選挙に確実に勝利できると楽観視して臨戦態勢に出遅れ、序盤戦の緊張感の欠如と足並みの乱れは甚だしいものがあった。選挙戦で最も大事な解散から一週間の期間、自民党本部の緊張感とスピード感は凄まじいものがあり、緊張感について言えば、小泉首相と武部幹事長の表情がそれを代表していた。武部勤の迫真の演技も見事だった。
あの短い期間に自民党は三回から四回の候補者公募を行い、論文審査と面接試験で公認候補を絞り込んでいる。その様子は選挙後に杉村太蔵が証言していたが、証言が事実であったとすれば、その恐るべきスピードとパフォーマンスに脱帽せざるを得ない。きわめて少数の
執行部が素早い意思決定で戦略的に動いていた。候補者は選挙戦を戦う武器だ。解散から十日間の自民党本部での候補者生産活動は、まるで第二次大戦時の米国のB29生産とかソ連のT51生産のラインを想起させる。政治を考える者として、自民党のこの間のダイナミズムについては大いに賞賛してよい。私が民主党の党首であったなら、刺客候補が送り込まれた選挙区では、公示日までに候補者差替を断行した。広島六区、岐阜一区、静岡七区、東京十区、公募してでもルックスグッドで能弁の若い実力者を厳選して送り込んでカメラの前に立たせた。その四人の挙動と弁論の如何で民主党の全選挙区の得票が決まるからである。
前にも書いたが、解散直後の小泉演説で自民党支持の世論数値がハネ上がった瞬間、それに俊敏に対応して、民主党は全野党共闘の選挙戦術に舵を切るべきだった。選挙は勝てばよい。負ければ意味がない。戦術は目的に従属する。即座に党内右派を説得して「民主党は郵政民営化に反対」の立場で(一時的にであれ)合意を固め、次に共産・社民・国新・新日の四党と連合し、反小泉の選挙同盟を作って、新橋駅前の広場壇上に五党首が揃い踏みする絵を作ればよかった。五党は郵政民営化反対の旗幟を鮮明にして、郵政民営化を選挙争点として受けて立ち、小泉自民党を逆包囲殲滅すればよかったのである。刺客選挙区には五党首が揃って入って街頭演説し、その映像をマスコミに撮らせ、昨日は広島、今日は岐阜、明日は浜松と、連日画面を埋めればよかったのだ。マスコミも中立を維持できただろう。自公の議席を半数以下に押さえ込めば岡田克也が首班に指名された。民主党が政権を取れた。
結果論と言われるかも知れぬが、候補者差替も
五党首揃い踏みも、私が選挙期間中に言ったことである。だから、その時点で私は敗北を確信していた。最後の最後に、もうこれしか残っていないという時点で、共産党支持者に小選挙区での民主党候補者への投票を呼びかけた。
9月6日の時点で(奇跡を起こすために)他に何がある。他に何があった?