3月1日は韓国の三・一独立運動記念日。今年の記念式典で盧武鉉大統領は「国家指導者の行為は、人類普遍の良心と歴史の経験に照らして評価しなければならない」と述べ、小泉首相の靖国参拝をあらためて批判し、その中止を求める主張を訴えた。また「日本国民の良識と歴史の大意を信じ、ねばり強く説得する」とも言った。私の立場は盧武鉉大統領と全く同じだが、思えば一年前の
竹島問題以来、日本の政権とマスコミ、そして野党指導部のさらなる右傾化により、軸足の位置がまた右に動き、日本の政治的空気(常態)はいちだんと大統領の言う「良識」からは遠いところへ離れて行った。いわゆる外交姿勢と言うか、国家のイデオロギー的な面において、現在の日本はほとんど狂気の状態にある。政権を変えて国家のイデオロギー的常態を少しでも元の正常な位置に戻さなくてはいけない。菅直人でも田中真紀子でも加藤紘一でもよいから、一刻も早くリベラルが政権を奪回しなくてはいけない。
四年ほど前に真冬のソウルを旅して三日間ほど滞在したことがある。初日に国立中央博物館を訪れた後は、ただ明洞から南大門の界隈をぶらぶら歩いて街や店や人を見て時間を潰しただけだった。観光名所を訪ねて回らなかった理由は、外気がやたら寒くて、また人混みが多くて、ホテルの外に出るのが億劫だったことが一つと、駅も店の看板も全てがハングルで、何が書いているのかさっぱり分からず、そのために外出して遠出する意欲を失ったことがある。漢字やアルファベット表示があればいいのだけれど、ハングルばかりだと頭の中が真っ白になる。ほとんど明洞周辺の半径二キロほどで三日間を終始させたが、旅で得たものは少なくなかった。偶然に仲良くなった男がいて、一緒にバーに行くことになったのである。気さくな、いかにも韓国人らしい、ハハハッという笑い声と表情に韓国人らしさを感じさせるナイスガイだった。私は韓国語が全くできず、二人は英語で互いを助け合って会話した。
助け合ってと言うより、カバーしてもらったのは専ら私の方で、特にヒアリングスキルに差があったために、私の方が多く喋り、彼がそれを聞き取って意味を正確化し、そして短く応答しながら議論を次へ進めるという進行形式になった。話は本当に面白かった。彼は「僕は労働組合の副委員長をやっているんだよ」といきなり切り出してきて、そのときの表情は何となく自慢そうでもあり、照れくさそうでもあり、その方面での議論を日本人である私を相手に試みてみたいという様子だった。最初から「君はカールマルクスをどう思うか」と聴かれ、話は一気に盛り上がって行った。日本で私にそんな質問をする人間はもういない。「大学時代にたくさん古典を読まされたよ。昔はどんな田舎の本屋でもマルクスの文庫が並んでいたけれど、今は都会の大きな本屋へ行かないと買えないくらいマルクスは読まれていない」と言い、この四半世紀間のマルクス主義からポストモダンへの思潮の変容と日本の現在の思想状況を説明した。
彼はそのとき「資本論」の読書に夢中になっていた。私が説明する日本のポストモダンの現状が、彼にどこまで理解を及ばせたかは分からない。だが、これは韓国人が日本人を思想的に正確に認識する上での重要なキーモメントではあると私は思う。韓国の溌剌と日本の鬱屈、韓国の
清直と日本の
歪頑の問題認識においては、日本の脱構築主義(近代主義否定言説で正当化した利己主義肯定)の問題について、何がしか意識の中にとらまえてもらうことが必要であり適当だ。私が説明する日本のポストモダンの支配的状況は、マルクス的な社会科学が蓄積された「先進国」として日本を見ていた彼の想定にとっては、残念で意外な、ディスアポインテッドなものだった。彼の表情はそのように見えた。話はどんどん盛り上がり、遂にと言うか、私は丸山真男の「日本政治思想史研究」の一般論を英語で説明するという途方もない作業を引き受けてしまった。今から考えれば冷や汗が出るが、本当にやってしまった。
ほとんど口で単語を並べるよりも机の上の紙に漢字を書きなぐって訴え込むという感じだったが、例の「朱子学的思惟の分解過程から近代的思惟の確立へ」と「徂徠学における自然と作為」の一般論について、日本語であれば酒席で二時間でも三時間でも闊達に舌を回し続けられる演題を、エレメンタルな極致の英語で試みてしまったのである。この議論は日本思想史の教科書的な一般論であり、そしてわれわれ日本人の自己認識の中核をなす理論でもある。中国朝鮮は植民地化されてしまったが、何故に日本だけが近代化できたのか。その説明を政治思想史の方法で解答として提供しているのが丸山真男の学問であり、われわれ日本人は(丸山真男の本を読もうが読むまいが)その基本前提の上に立って自己(日本)を認識し他者(中国韓国)を認識している。その枠の内にある。ちなみに、その設問に対して経済学の方法で解答を理論提供して教科書的な自己認識を確立したのが戦前の講座派マルクス主義だった。
そういう問題に対して韓国の人間が関心がないはずがない。彼は興味深く聞き入っていたし、朝鮮朱子学についても何人か学者の名前を挙げて教えてくれた。しかし一般市民である彼もそうだったが、韓国の人間は本当によく日本の歴史を知っている。日本史の知識を持っている。明治維新とその後の近代史だけでなく、戦国時代の歴史も実に詳しく知っている。信長・秀吉・家康について、並の日本人と同じかそれ以上の知識を持っているのに驚かされた。それに引き換え、私の方は韓国史について韓国の幼稚園児ほどの知識も持っていなかったのだ。本当に恥ずかしかった。李舜臣と安重根と金玉均と閔妃と大院君くらいしか知らない。世宗でさえ知らず、ハングル文字は誰がいつ作ったのだろうなどと愚かな質問をしてしまった。Take your purse from your pocket, and pick a bill and look at it. という感じで世宗大王とその偉業を教えてもらった。英語というのは韓国人と会話するために必要なものだ。
と思う。米国人と歴史や思想について深く議論したことは今までない。これからも無いのではないか。なぜ日本がアジアの中で一国だけ先に近代化できたのか関心を持っている米国人に出会った経験がない。よほどの知識レベルの人間でないとそういう質問は飛んで来ないと思われる。トヨタ車とホンダ車の違いとか、ソニーと松下の違いについては彼等は目を輝かせて聞き入ってくれるが、日本朱子学の問題について強く関心を払う米国人はいないのである。それと、これは経験者なら誰でも得心することだが、韓国人の話す英語と日本人の話す英語は本当によく似ている。互換性が高い。聞き取りやすい。日本語と韓国語はずいぶん異質な言語だと思うが、韓国人の話す英語を聞いていると、ああ何て韓国人は日本人に近いのだろうと思う。単語の発音もそうだし、抑揚もそうだし、構文の作り方が同じで、構文を作る際の苦労感覚や苦手意識の中身が同じだ。抱きしめたくなるほど英語との関係(コンプレックス)が同じだ。
議論の半ばで、So I think I must say to apologize to you という感じの言葉が自然に口から出た。正確にこう言ったのかは忘れたが、何と言うか、英語で謝罪を言うのは、日本語でそれを言うのとは違って精神的負担が本当に軽微で、これで意味が通じるかしら、まあ apologize が入っていれば通じるだろうくらいの軽い感覚で言ってみることができる。どういう反応が返ってくるかしらと楽しみにするくらいの感じで言える。彼は、例のハハハッという韓国人特有の表情を見せて、You need not say that, so this is the past thing already と素早く言った。心配りのこもった表情と返答の仕草で、私はそれを見て感動した。軽く謝罪を言ってみた私よりも、それを日本人から聞いた彼の方が確かに重く受け止めていた。が、彼はそれを重く受け止めたというようには見せず、気を遣って軽やかに流す会話を演出しようとしていた。一瞬の心配りが私にはよく見えた。そこですっかり二人は仲良くなった。私はいわゆる「挨拶がわりに謝罪を言おう」の主義者である。中国はそれでは済まないが、韓国の場合はそれで済む。
英語で言えば簡単に言える。言語のバリアがクッションになる。挨拶のかわりに apologize を言えばよい。