ソウルではもう一つの英語体験(謝罪体験)があった。真冬のソウルは本当に寒くて、緯度も東京より高く、福島あたりの位置になる。半島とはいえ大陸の一部であり、シベリアや中国東北部からの寒気が陸続きで直撃する寒冷の場所にある。肌を刺す外気の厳しさが東京の比ではなかった。二日目に南大門市場を散策中に体調が悪くなり、仕方なくホテルの部屋でNHKの衛星放送を見ながら寝ていたが、妙に熱っぽくなって、風邪薬を買いに外に出た。近所の薬局に入って Maybe I have caught a cold, so with a little fever という感じの英語を並べたところ、薬局のおじさんから、「君は日本人だろ、日本人だったらどうして先に日本語で話さない」と窘められてしまったのである。私は咄嗟に「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げて謝った。薬局のおじさんの態度と言葉に威厳があり、感動を覚えてしまったのだ。70歳くらいの感じの人だった。
「おじさんは日本語もできるんですね」と言ったら、「日本語と英語と韓国語の三ヶ国語ができるよ」と上手な日本語で返してきた。カッコよかった。普通の薬局の店主なのだが、その人間の品格に私は完全に圧倒されてしまった。圧倒されつつ、謝罪しつつ、実に気分がよかった。この体験は私の中でまた一つ韓国への尊敬に繋がる財産となっている。いい体験だった。店主の窘めもよかったし、私の謝罪もよかった。店主から見て、最初に店に入ってきたときの私は、最近よく明洞で見かけるところの浮薄な日本人であり、昔のきちんとした日本人ではなかったのだ。これには実はもう少し深い伏線があって、ソウルのデパートや料理屋で英語を使うと、日本でと同じように、店の人間の顔色が変わって真剣に言葉を聴き取ろうと耳を済ますのである。少し早口で So I would like to take this one とか始めると、途端に店員の顔色が変わって真剣になる。
つまり日本と同じ英語コンプレックスの社会環境がある。その環境に一日二日で慣れてしまっていたということがあった。例えばこれが中国だと、北京の王府井の店でさえ英語は全く通じないから、中国語のできる人間が一緒でないとどうしようもない。経験から言って、中国では英語はまだグローバルスタンダードになっていない。日本語と同じく一部のエリートのものである。韓国は、あの98年の通貨危機の時の深刻な国民体験があり、そこから一般国民も英語を勉強して習得して当然の社会になり、英語で格差ができるのを認める社会になった。グローバル経済への適応を余儀なくされた。だが、適応はしているけれど、適応の仕方が日本とは違う。日本の場合は恥も外聞も捨てて、へらへらと米国人の従僕になるのを喜んでやっているが、韓国人は米国やグローバル資本主義に対する緊張感を失っていない。プライドを捨てておらず、面従腹背している。
臥薪嘗胆してリベンジの機会を窺っている。民族の意地と誇りを失っていない。そのように私には見えていたのだが、薬局の店主の私への一喝は、その私の思い入れを証明してくれたようで、そういう意味で私は彼の一喝を嬉しく感じた。日本人も民族の誇りを持てと窘めてくれたのだ。(訪米経験ゼロの)盧武鉉政権の成立は、まさにグローバル資本主義に屈服することを潔しとしない韓国民族の意地と気概の証左のように見える。だからこそ我々は隣人として盧武鉉政権を応援しなければならないはずだ。韓国の国民とスクラムを組んで
<帝国>と対決しなくてはならないはずだ。司馬先生が繰り返し言ったように、韓国は日本にとって唯一の隣人であり、初等教育課程でその言語を学ぶべき相手である。良いところも悪いところも含めて、日本人をこれだけよく理解してくれている民族は他にいない。韓国人の真摯なアドバイスには耳を傾けなくてはいけない。
ホテルのすぐ向かい側にソロンタンの専門店があり、毎朝そこに足を運んでいたが、韓国人は本当にキムチが好きで大量に食べる。テーブルの横脇にキムチを格納した大きなボックスが備え付けられていて、お客はそれをトングで掴んで自由に食べられるようになっていた。見ていると、キムチをソロンタンの中に入れ、ビチャビチャと箸で湯掻くようにして、次から次にキムチを口の中に放り込んでいる。私が見たときは三人の男がやってきてテーブルを囲んでいたが、あっと言う間にボックスの中のキムチが空っぽになり、男たちが「アガシ!」と従業員を呼んでキムチのお代わりを持って来させた。白いソルロンタンは見る見るうちに真っ赤なテグタンスープになった。キムチを湯掻いて唐辛子を洗い落とし、そこに牛骨の汁を含ませながら朝の会話に興じている。そのときの箸を動かす仕草は、まるで日本人が朝食時に納豆を掻き回しながら会話に興じている風景と同じだ。
キムチが主食。ソロンタンは単に味付けと最後の仕上げであり、キムチこそが主食なのだ。