質問書の締切時間(3/6 12pm)までにリマインダを二回TBしたが、
細野豪志からメールでも何も返事は来なかった。細野豪志と民主党がテレビで繰り返し言っているところの、「事実の検証で国民への責任を果たす」という常套句が、口先だけでの嘘であることが証明された。質問した内容は特にあらためて調査を必要としないものばかりで、細野豪志が即答できるものばかりである。あれだけ「国民の前で事実を検証して信頼回復をしなければいけない」と公共の電波を使って繰り返し釈明しながら、国民からの質問を堂々と無視して憚らない居直りぶりに唖然とする。細野豪志はまだ34歳の若僧だが、政治家というのは34歳でもこれだけ面の皮がぶ厚くなれるものだろうか。厚顔無恥という言葉は前原誠司と細野豪志のためにあるようなものだ。細野豪志は前原誠司と十年間つきあってきたと言っていたが、一年に五ミリずつ顔面の皮膚細胞を増殖堆積して行ったに違いない。次は口が曲がる。今度は一年に五ミリずつ口角が湾曲するだろう。細野豪志は毎朝鏡で口をチェックした方がいい。
多忙な細野豪志が、ブログに
TB送信された記事を見てなかった可能性もあるので、主権者である国民の義務として、懲りずに何度もリマインダを送信し続けることにする。そのうち民主党の「検証委員会」のアリバイ報告が出るだろうが、スリカエやゴマカシを許さないためにも、私の発した質問書は有意味な備忘録として機能するはずだ。
偽メール事件の一部始終を経過を追って正確に検証すれば、前原誠司の責任問題になるのは必至で、それも単に代表辞任では済まず、隠蔽工作に加担した細野豪志も含めて議員辞職にまで及ぶ可能性すら十分ある。偽メール事件については、玄葉光一郎も含めて当の民主党議員でさえ真相をよく把握していない。「調査委員会」の中で初めて疑惑を抱く人間が何人か出る。前原誠司と細野豪志がどれだけ口封じに成功するかどうかだが、真実がこれから党内に滲み出る事態も予測され、その意味では偽メール事件は民主党の中で終わっていない。早い話、河村たかしが前原誠司を見限って事の真相を暴露すれば、それで一巻の終わりではないか。
もう一つの可能性は、いわゆる問題の「仲介者」が口を開くことで、特に動向が注目されるのは西澤孝以上に相棒の佐藤晶の存在である。テレビ報道によれば、西澤孝は京橋のデュモンマーケティングのオフィスを引き払い、さらに湾岸にある高級マンションからも転居したと伝えられている。怪人物である西澤孝の正体も知りたいが、マスコミには佐藤晶に対する追跡調査もお願いしたい。一見してキャラクターのタイプが異なる佐藤晶と西澤孝の二人がコンビを組むに至った事情は何だろう。恐らくそこには民主党が深く影を落としているはずだ。雑誌「Dumont」創刊事業に民主党が深く関与していて、それが偽メール事件を惹き起こす背景になっている。永田寿康が「仲介者」に対して無条件の全幅の信頼を示したのは、単なる個人的な交遊関係以上に、「仲介者」と党との密接な関係があったからではないのか。その後の悪質な隠蔽工作も含めた偽メール事件全体に関わった民主党の議員として、私が注目するのは野田佳彦以外に原口一博と河村たかしの二人で、この二人は真実を知っている。
民主党(
細野豪志と原口一博)の説明では、2/1に最初に仲介者が議員会館に来て、永田寿康が仲介者を紹介するように二人で原口一博の部屋を訪ね、そこで仲介者が詳細なライブドア事件の裏情報を原口一博に説明したことになっている。だが週刊文春(3/2発売)の記事では、最初に仲介者が永田寿康と原口一博の部屋を訪ねたのは1/26で、2/1は二度目の訪問である。そして2/6頃に仲介者から永田寿康に偽メールが持ち込まれたことになっている。民主党がこれまで説明しているシナリオでは、2/1が仲介者との最初の接触で、2/6に偽メールの持ち込みだが、この説明は疑わしい。私は嘘(作り話)だと思っている。偽メールは、現物はともかく、話としてはもっと早い段階で、1/26か2/1には民主党関係者に持ち込まれていたはずだ。そう推理する理由は二つある。一つは、国会で爆弾質問するのが2/16であり、このタイミングは最初から既定のものであり、その前に、予め騒動を大きくするために、永田寿康と民主党はメール問題を週刊誌に載せるべく仕掛けていたと考えられるからだ。
偽メール事件が起きた当初にテレビで岸井成格が証言していたが、自分もこのメールが週刊誌に持ち込まれたという話を聞いたことがあり、週刊誌の編集部がメールの信憑性を疑って掲載をボツにしたという業界話を聞いていたと言っていた。私は明瞭に記憶しているが、岸井成格の証言では、岸井成格がその話を聞いたのが2/16の爆弾質問の十日ほど前だったということだった。つまり2/6頃の段階で、すでに数誌の週刊誌には西澤孝から偽メールが持ち込まれていなければならないのだ。民主党(
細野豪志)が、偽メールが永田寿康のところに持ち込まれた期日を2/6頃としたのは、恐らくこの岸井成格証言を考慮した上で、この証言に抵触しないように情報工作したものだろうと私は見る。本当はもっと話は早かったはずだ。恐らく、1/26には堀江貴文から武部勤の二男にカネが送金された「事実」とその「証拠」については話がされて、すでに原口一博と永田寿康の知るところになっていたはずであり、続く2/1の相談の段階で、メールの現物が西澤孝から示されたはずなのだ。国対戦略が始まっていたはずだ。
そこから西澤孝による週刊誌売り込み作戦が始まる。そう日程を組み立てると整合がつく。つまり2/1の仲介者と原口一博と永田寿康の議員会館での会議は、単なるライブドア問題の裏情報のタレコミなどではなく、メール暴露を中核に据えたところの、武部勤告発のための国対戦略の戦略会議だったと考えることができる。そこで謀議をして、先に週刊誌を回って火を点けるお膳立てを策したのだ。結局のところ週刊誌作戦は失敗に終わり、言わば「裸」のまま強引に2/16の爆弾質問に突入する。二つ目の理由は、第一の理由とも関連するが、仲介者が民主党と懇意の元記者であり、その元記者が民主党の国対戦略に協力するべく議員会館に来るときは、どうでもいいLD裏情報などではなく、ズバリあのメールの現物を持ち込むか、(送金の)証拠の文書があるぞという情報を持ち込むだろうと思われるからだ。民主党(
細野豪志)の今までの説明では、2/1の原口一博の部屋での三人の会談においては、まだメールの現物はおろか話すら出ていないことになっている。メールが持ち込まれるのは2/6になってからだ。
しかしこれは違う。そんなはずはない。1/26に仲介者が議員会館に来た時点で、話題の中心は「送金問題」であったはずで、LD内部関係者から噂を聞いていた仲介者がその情報を原口一博に説明し、何か物証を確保できないものかと三人で鳩首協議していたに違いない。偽メールの謀計がそのとき誰かによって発案されたとまでは言わないが、少なくとも時系列としては、最初に1/26に「送金問題」が話され、2/1に「メール」が持ち込まれているはずだ。週刊誌で暴露すれば、それに続いて次々とLDや武部二男の関係者から新事実が飛び出てくるだろうと計算したのだろう。だから、偽メールが物理的に作成されたのは、私の推理では1/26から2/1の間ということになる。それは恐らく平沢勝栄が証言しているとおりで、西澤孝が元LDファイナンス社員の「情報源」に要請し、元社員が女の子に捏造させたものだろう。その「情報源」から平沢勝栄のところに情報と偽メールのコピーが漏れ渡った。その時期は2/6から2/16である。恐くなったのだろう。情報源の実体が未だに表に出ないのは、情報提供を受けた平沢勝栄と自民党が保護しているからだ。
民主党の「調査委員会」メンバーは私の推理を参考にして、新しく聴き取る諸情報を整理解読していただきたい。