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本と映画と政治の批評
by thessalonike2


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瀑布の思い出 - ロチェスターからナイアガラフォールズへの車窓
瀑布の思い出 - ロチェスターからナイアガラフォールズへの車窓_e0079739_1317317.jpgナイアガラの写真を見ていたら昔の旅を思い出して懐かしくなった。ずっと昔、ある視察団の一行に潜り込ませてもらって、北米を旅行させていただいたことがある。バブル経済の真っ只中の頃であり、今から思えば本当に贅沢な旅を満喫させてもらった。その日は、朝早くボストンを出発して、ロチェスター経由でナイアガラフォールズに入る日程で、アメリカン航空の国内線に搭乗して移動した。あの当時、アメリカン航空は太平洋上の国際線を飛んでいたかどうか。初めて乗るアメリカン航空は日本の国内線の飛行機の中とは全く別な印象で、例えばスチュワーデスなども日本の航空会社と違って気取りがなく、機内サービスもリンゴを丸ごと一個「ホイッ」と手渡す感じだった。ロチェスターではゼロックス社を訪問して会社見学させてもらう行程になっていて、それがその日の主たる公式行事だったが、何を見たのかよく覚えていない。当時のUNIXシステム上の画像処理技術の説明を直に画面操作で受けたような覚えがある。記憶にあるのは一行をアテンドしてくれた企画室長さんで、心の優しい暖かい人だった。



瀑布の思い出 - ロチェスターからナイアガラフォールズへの車窓_e0079739_13173694.jpg外から訪れる視察団は彼が一手に引き受けているようで、名刺の肩書は planning office manager だったが、ラインから離れた渉外担当の総務課長さんの趣きだった。彼はそのとき45歳くらいで、バスラ出身のイラク人だった。米国の大学に入学して就職し、そのまま米国籍になった。湾岸戦争が起こったとき、彼のことを思ったし、イラク戦争が起こったときは、苦労させられているのではないかと心配した。その日の午前は歯医者に行く予定だったのだが、我々の訪問が入ったために午後に回してくれていた。オフィスを案内している間中、歯を気にしている様子があった。日本人に生まれたから日本の大学に入って日本で暮らすことができたが、イラク人に生まれていれば、母国を離れて米国人にならざるを得なかっただろう。そういう人はきっとたくさんいる。アフガンとか、リビアとか、アフリカの多くの国々とか。我々の応対をしてくれていた頃、まさか母国が米国と戦争するとは夢にも思わなかっただろうし、米国が今のように中東出身者に対して不寛容な国になるとは思ってもみなかっただろう。

瀑布の思い出 - ロチェスターからナイアガラフォールズへの車窓_e0079739_13344662.jpgバスに乗ってナイアガラフォールズまで移動した。このときの二時間が忘れられず、私にとっての米国体験とはロチェスターからナイアガラフォールズまでの車窓の景観に尽きる。右側の空間には広い広い小麦畑が延々と続いていて、季節は真夏で、一面美しい黄金色に輝いていた。畑は丘陵状に丸く弧を描いて地平に広がっていて、だから丘の向こうにはオンタリオ湖があったのだろうが、あの富良野の小麦畑の写真を思い出していただければ形は同じである。けれども違うのはその圧倒的な広さで、畑の一枚が想像を絶するほどに大きかった。どれほど大きかったかと言うと、バスは時速百キロで真っ直ぐ西に移動しているのだが、バスの車窓から眺める畑の一枚が、三分経っても四分経ってもそのまま続いて区切りが見えて来ないのである。一枚の畑の横の長さが五キロも六キロもあるのだ。やっと区切りが見えて次の一枚に移って小麦の品種が変わり、それが三枚ほど続いた後に、ようやく人家なのか小屋なのか屋根のついた建物が見える。それまで一軒の建物もなかった。これが米国の穀倉地帯。

瀑布の思い出 - ロチェスターからナイアガラフォールズへの車窓_e0079739_13174888.jpgバスの中の乗客はみんな疲れて寝ていたが、私はまんじりともせずに小麦畑の景色に見入っていた。あまりの国土の広さに圧倒された。そして左側の車窓を見れば、何と対向車が百メートルほど向こうを走っているのである。左右の対向車線の間に百メートルほどの広い緩衝地帯が設けられているのだ。そこには何も無い。ただの地面だ。日本では絶対に考えられない。成田空港に帰ってきて、リムジンバスから東関東自動車道の対向車の列を見ながら、何だか日本という国は、人も車も何もかも、全てが精密機器の部品のように狭い空間できちきちと動いている国であるように思われた。ほんの少しハンドルを逸らせば、一瞬で対向車線にはみ出て車を衝突させてしまう。交通が大混乱を起こしてしまう。ロスアンゼルスのあの物凄い多車線のハイウェイとそれが立体交差する巨大なジャンクションの空間も壮観だったが、やはりロチェスターで見た広い広い真夏の小麦畑と対向車線間距離が私にとっての米国である。それはエンパイアステートビルの屋上から眺めたビル群よりもはるかに強烈な印象だった。

瀑布の思い出 - ロチェスターからナイアガラフォールズへの車窓_e0079739_1317599.jpg気温は華氏100度。バスは恐らくバッファローを経由してグランドアイランドを通ってナイアガラに入ったと思われるが、その間に二本か三本の河川を横断した。河川も広く大きく、橋桁が高く、景観が美しく、橋の上を通過する距離と時間が長かった。常磐自動車道で利根川を渡河する距離よりも長かった。利根川はわが国最大の流域面積を誇る大河であり、そしてロチェスターからバッファローの間に渡った川を調べようとして地図を開いても名前すら確認できない。私がカナダに入国したのは、そのときの一回きりであり、米加国境に止めたバスの中で入ってきた係官にパスポートを見せて入国審査を受けた。いわゆるナイアガラ瀑布の観光スポットはカナダ側にある。テーブルロックからミノルタタワーのある場所はカナダ側であり、映画やテレビに出てくる雄大な瀑布の絶景はカナダ側からの映像である。瀑布はテレビで見たとおりのものがそのまま目の前にある。目の前で水が落下する。観光地らしい観光地であり、絶景らしい絶景であり、世界中から観光客が訪れて楽しんでいる。あの場所はやはり一生に一度は行くべきだ。

定番の「霧の乙女号」に乗船させてもらい、飛沫を全身に浴びながら瀑布の底に接近した。そのときの青い雨合羽を着た写真が残っている。
 
by thessalonike2 | 2006-03-11 23:20 | プロフィール・その他 (15)
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