3/16
放送のNHK「探検ロマン世界遺産」で故宮が紹介されていた。あの重量感のある黄色の瑠璃瓦屋根の連なりが目に入ってくると、心がさわめいて落ち着きを失ってしまう。次の北京行きに心が飛んでゆく。映像で見るのもいいけれど、一度は故宮(紫禁城)を訪れてみることだ。北京の故宮観光のツアーコースは、まず先に天安門広場を案内して、それから天安門前の長安路の地下トンネルをくぐって故宮の内部に進入するのが通常である。天安門広場というのが実に広い。テレビのニュースで見慣れた天安門広場だが、実際に現地に立つと、その途方もないだだっ広さと、広場の上の人の多さに驚かされる。都市の中に設計された広場としてはあまりに広すぎるスペースがそこにある。そしてまた、広場へ行って実感したことだが、他のあらゆるものが市場経済の空間になっている北京で、そこだけは歴然とした社会主義の空間が演出されていた。周囲三方には人民大会堂・毛主席記念堂・中国革命博物館の建物が配置され、それは何かと言うと、まさにモスクワの赤の広場の拡大版なのだ。
天安門の左右の城壁はクレムリン(城砦)であり、毛主席記念堂はレーニン廟である。天安門広場は赤の広場を擬した思想で設計されている。昔、モスクワを旅した経験がある私は、そのことをすぐに直観できた。中国が社会主義市場経済の巨大な国であることは、天安門広場に立つと感覚的によく分かる。天安門の毛沢東の肖像画の下を通って午門の手前まで進み、そこで入場券を買って故宮の中に入る。午門前の広場は三方を高い城壁に囲まれた独特の空間だが、壁の赤が特に印象的な場所で、なかなか感じがいい。大勢の観光客が集まり並んで入場券を買い求めていて騒然としている。ここでは人の多さに圧倒され、先行きに不安を覚える。が、午門をくぐり、太和門を望んだ瞬間からあの故宮の広大な空間が始まり、視界の広さと建物の壮大さで人の多さが気にならなくなる。金水橋を渡って巨大な太和門をくぐる頃はすっかり気分爽快になり、故宮(即ち映画「ラストエンペラー」)の世界に浸りきってしまう。そして故宮最大の絶景である太和門から見る太和殿の眺望に遭遇するのである。
このビジュアルは本当に素晴らしい。広くて大きい。この宮殿と空間を設計した人間に心から尊敬を覚える。広さがあるために、水平の横の広がりと奥行きの距離の長さがあるために、目の前の太和殿の大きさに決して威圧される感覚ではない。例えば、東大寺大仏殿の拝観入口をくぐって大仏殿を正面にすると、その威容に圧倒され、景観の素晴らしさに息をのむけれど、感覚的にはあれの十倍ほどの規模の大空間が横たわっているのである。大陸を感じ、大中国を感じる。周囲の外人観光客が驚嘆の声を上げている。私は大きさに驚きもしたが、それ以上に線と色と形の空間美に見惚れ、設計美に感動して、しばらくその場を動けなかった。北京へ来てよかったと心から思う瞬間である。「ラストエンペラー」の即位式の場面を思い出しながら広い前庭を歩き、三列の石段中央の御路に彫られた一枚岩の大理石の龍のレリーフを横目にしつつ太和殿に上がり進むと、大きな建物の中に玉座がある。その荘重さはいかにも世界の中心に座る中国皇帝の玉座だが、奇妙に感じるのは何か殺風景なことである。
何と言うか、ガランとそのまま放置している感じがする。貴重な文化財として手厚く保護しピカピカに磨いて展示している感じがしない。これは私の感じ方だが、この太和殿の玉座から後に続く内廷の文物まで含めて、そこには何か人民中国の独特の文化財への意味づけが表現されているように感じられてならなかった。「ほいよ、見なさい」という感じで、悪く言えば粗雑に扱われている。法隆寺の国宝群のように丁重で厳重な管理と保全を受けている感じがない。何か、見ている現在の人民が主人公であり、展示されている文化財は過去の遺物なのだという定義があるように思われた。時代は変わったのであり、労働する現在の人民こそが国家の主人公で、文化財は前近代の皇帝が支配した時代の古い中国の残滓であり、これらは思想的に敗北したもので、いずれは消失して行って当然の運命のものなのだという感じの思想性。最近の中国はそうではないのだろうが、文革時代の中国の思想はまさにその地平にあり、全国の貴重な歴史的文物を毛沢東思想の原理主義で見境なく破壊しまくった。
内廷に入ると、宮殿の扁額が漢字と満州文字の二つが併記されたものになる。これが清代のオーソドックスな姿で、辛亥革命の後、袁世凱が扁額から満州文字を削除しようとしたのだが、政権が三ヶ月しかもたなかったために外朝(太和殿・中和殿・保和殿)の扁額だけが漢字のみとなった。内廷の見どころの一つは乾清殿の玉座の上に架けられた「正大光明」の扁額で、雍正帝がこの扁額の後ろに後継者の名前を記した文書を箱に入れて隠し置き、以後、清朝の皇帝は後継者指名に際してこの例に倣った。内廷の宮殿は建物が小さく、そのかわり数が多い。その一角に養心殿があり、養心殿に付属する小房として例の三希堂がある。私はこのときうっかりしてガイド嬢に三希堂を案内してもらうのを忘れた。故宮があまりに広く、見るものが多くて歩き疲れていたことがある。先日のNHKの「世界遺産」の番組でも定番のように登場したが、私のガイドコースには残念ながら三希堂は含まれてなかった。三希とは乾隆帝が収集して愛蔵した王義之の「快雪時晴帖」と王献之の「中秋帖」と王旬の「伯遠帖」である。
どこをどう通ったのか、例の「ラストエンペラー」で少年の溥儀が自転車で遊ぶ左右を塀で囲まれた細い路地をガイド嬢と二人で歩き、そして書画骨董を観光客に販売している中華人民共和国政府直営の店舗が入った建物を通って、最後に神武門を抜けて故宮の外に出た。最初の天安門から直線でどれだけの距離になるだろう。あの赤塀に囲まれた細い路地を歩いている頃には、午門でうじゃうじゃ密集していた観光客は一人も周囲にいなくなっていた。静かだった。故宮は広く、内廷まで入って来ると、見る場所が沢山あるために観光客もばらけてしまう。故宮観光の最後の仕上げは神武門の裏手にある景山に上って故宮全景を見下ろすことである。風水思想で故宮の裏山として築かれた景山。高さ43メートル。実際に見ると、とても人造の山とは思えない。この山を築くために土を掘ってできたのが隣の北海公園の池(北海)だとガイド嬢が説明してくれた。景山を語るときには必ず出る話だが、李自成に攻められた明の崇禎帝が首を吊ってここで自殺している。景山の上から見下ろす故宮は素晴らしく、黄金色の瑠璃瓦屋根が重畳として波打つ景観に恍惚として見入ってしまう。故宮は何より建造物が素晴らしい。