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本と映画と政治の批評
by thessalonike2


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イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう
イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう_e0079739_11531747.jpgイチローがWBC大会前に放った「今後三十年間アジアの国が日本と試合をしたくないぐらいな試合をしたい」という発言は、典型的なビッグマウスで、立場や時期を考えれば軽率で不用意な失言であり、短慮で無分別な放言であると言われても仕方がない。特に現在の日韓関係を考えれば、それを公式の場で発言することは韓国の国民感情を逆撫でする傲岸不遜な挑発であった点は明らかだ。だが、私はこの発言についてはイチローを責める立場には立たない。その理由は二つあって、一つはこの発言の中身そのものは、大会前の私の率直な心情の代弁だからである。韓国や台湾のプロ野球と較べて日本のプロ野球は五十年以上長い歴史と伝統があるのであり、簡単に追いつかれるようでは困る。五十年間の伝統と蓄積の差を実感させてくれる試合を日本代表に見せてもらいたいのだ。私からすれば、対中国戦は言わずもがな、台湾と韓国に対しても一次リーグでコールド勝ちしてくれて当然だった。日本が韓国に野球で負けるとか、韓国と野球で互角など絶対に許されない。



イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう_e0079739_11533094.jpgそれは国民感情として許せない。サッカーなら負けても許せるし、互角ならそれで結構だが、野球で韓国に負けるなどあってはならない事だ。日本の国技は相撲だけれど、事実上の国技は野球である。特に戦後日本の、われわれの祖国である神聖なこの戦後日本の国技は野球である。われわれから上の世代はみんな野球ができるし、子供の頃は原っぱの空き地で毎日野球ばかりやって大きくなった。家の近くに、藤子不二雄の漫画で出て来るような土管とか建設資材なんかの置き場になっていた空き地が本当にあって、そこは正方形ではなく長方形だったからライトの外野が極端に狭かったのだけれど、そこで学校が終わった放課後に日が暮れるまで野球をやって遊んでいた。日が暮れてボールが見えなくなり、特に外野の草むらにボールが転がると本当に見つからなくなってしまうので、そこでやむなくゲームエンドになっていた。やりたい子がグラブを持って我先に集まってきて、現場はすぐに18人を超え、あぶれた待ち組が見物しながら「早く代われよ」とせっついていた。

イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう_e0079739_11534113.jpg塀を越えた打球が家の窓ガラスをガチャンと割って住人に怒られるという漫画の話も日常の現実だった。それが戦後日本の一般的な少年たちの原風景だ。だから、ある世代から上の日本人は女も含めて野球のルールは皆が知っている。日本人にとって野球は尊く神聖な文化であり、その技術水準が韓国や中国に簡単に並ばれるようでは困る。その前に米国を追い抜くものでなくてはならないはずだ。イチローの発言は、WBCに参加する選手主将格のイチローの発言だったから問題になったのだが、本当なら責任的立場のない大沢啓二とか張本勲の口から、選手を激励する意味で言ってもらいたい一言だった。二つ目の理由は、私にはイチローの気持ちがよく分かるのである。米国でしんどい思いをしているのだ。ストレスが溜まっているのである。言葉の不自由な環境で、有色人種のハンディを背負って孤軍奮闘して、大きな成果を出しながらも決して成果に見合った評価を受けられず、人一倍大きなプライドを傷つけられて呻吟しているのである。それが故郷に帰ってきて興奮したのだ。

イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう_e0079739_11535447.jpg誰でもそれはあることだ。成功して故郷に錦を飾ったら、気分と態度が大きくなって、つい羽目を外してしまう。本当なら大リーグの最高年棒はイチローであってしかるべきなのに現実にはそうなっていない。タイカップを球聖と崇め奉るのなら、同じ技量のイチローは球仙と敬って神様扱いしてもおかしくないのに、少しでも調子を落とすとシアトルの新聞は「イチロー放出」を記事に書く。サムライのイメージで寡黙な聖者を演じてきた(演じざるを得なかった)プライドの高いイチローは、実際には憤懣がつのって爆発する寸前なのだ。イチローは決して内面が完成された男ではない。むしろ逆で、すぐに驕慢と倨傲に傾く未熟さこそがイチローの精神的資質の特徴である。だが、それを考えるときは、米国で活躍している日本人という困難な状況を少しは思いやらなくてはいけない。日本人が簡単に考えているほど、米国の中がイチローへの賛辞と尊敬で固まっているわけではないのだ。イチローの名誉と栄光を貶損しご破算にさせたい衝動を<帝国>は持っている。その機会を常に窺っている。

イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう_e0079739_11541793.jpg帝国>による敵性象徴失墜の陰謀環境の中でイチローは生き、言語不自由な社会で、身ひとつで孤独なカリスマ証明を続けているのだ。イチローの活躍と達成はストレートに日本人の誇りとなり、それは政治的思想的な意味を考えれば、<帝国>の相対化を媒介するものだろう。東京で成功して故郷の田舎に凱旋してきた人間が、強烈な「故郷ナショナリスト」に変貌しているように、イチローもそれは同じなのだ。日本野球のプライドを過激に極端に揚言しているのである。日本への愛、日本人としての誇り、日本野球への愛と誇りを絶叫しているのであり、米国人と米国野球に向かって獰猛に咆哮しているのだ。韓国の人々に、このイチローの鬱屈した内面を内在的に理解してくれと言うのは無理があると私は思うけれど、<帝国>によって理不尽で屈辱的な扱いを受けているのは韓国も日本も同じである。日本はあの米国戦でのタッチアップの誤審がなければ、問題なく準決勝に進んでいた。そして今回のWBCを見るかぎり、韓国野球が強くなって日本と肩を並べたのも事実である。それは認めなければならない。

韓国が要請してきた年に一度の野球の日韓戦を受けようではないか。
イチローの鬱屈と発揚 - 年に一度の野球の日韓戦を応諾しよう_e0079739_11542856.jpg

by thessalonike2 | 2006-03-23 11:30 | プロ野球・WBC関連 (7)
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