佐世保を出た三笠は、白い航跡を曳きつつ西北へ針路をとった。この季節にしては海上はおだやかで、西方に多少濛気があり、このため左舷にみえる五島列島の山々が、浅くひと刷けで刷いたようにかすみ、いかにも翠黛といった感じの色調をなした。(中略) 昼食のあと、真之は前甲板まで散歩した。前部主砲の下をくぐって右舷に出ると、平戸島がみえた。島の上に白雲がかぶさり、その下に竹木が繁茂し、いかにも物成りのいい国であることをおもわせた。これも水蒸気の多い気候風土のおかげであるにちがいなかった。日本は外国に売るべき資源もなく、ただ水っぽい土壌の上に成る稲の穂をしごいては食っているだけの農業国家にすぎなかったが、無理に無理をかさねて三笠のような軍艦をもち、大海戦をやるに堪える連合艦隊をそろえた。この国土のどこからその金をひねりだしたかとおもうと、真之でさえ奇蹟のようなおもいがする。 (文春文庫 第六巻 P.271)
これは小説「坂の上の雲」の中の一節で、連合艦隊の出撃にあたって秋山真之の感慨が述べられている件である。無論、これは小説の主人公の情懐に仮託して語られた作者自身の明治国家論である。同じ章の少し前には次のようにも書かれている。
「海軍はあまり秘密主義をとらず、新聞記者がインタビューを申し入れてくれば、たいていこれに応じた。なにしろこの国の国民が、超歴史的な貧窮の代償としてつくりあげた艦隊が海軍にまかせられている。それによって勝利をうけあうというのが、いわば国民と海軍とのあいだに成立している自然な黙契のようなものであり、海軍としては国民が知りたがっていることを、作戦の機密に属することをのぞいてはできるだけ知らせるという気分をもっていた (P.260)。」 当時の海軍が本当に小説に書かれてあるような情報公開の態度を示していたのかは疑問だが、作者にはそのように見えたのだろうし、そのように描きたかったのだろう。
ここで重要なのはその黙契の部分で、国民の耐乏生活と引き換えの大艦隊整備という明治国家の本質の問題である。帝国議会が設置され、明治23年(1890年)に初めて衆院選挙が行われたとき、有権者を一定額以上の男子納税者に限った制限選挙であったにもかかわらず、投票結果は民党(野党)の圧倒的勝利で、吏党(与党)は完敗している。その理由は、私の記憶では、国民の税負担が重すぎることに対する政府への不満だった。地租を金納する支配階級の立場の地主でさえ、明治国家の税金は重すぎると言っていたのであり、「無理に無理をかさねて」の問題は明治国家の出発点からすでに始まっていたと言える。この辺のところは、例の夏目漱石が「それから」の代助に
「(日本は)牛と競争する蛙と同じことで、もう、君、腹が裂けるよ」と言わせた有名な件を想起させるが、この予言的警句が明治42年(1909年)のことであり、一貫して重税軍拡路線が続けられている。
無理をすると体を壊して病気になる。これは現在のわれわれの常識で、壊した体を治癒するために病院や医者に世話になるのだが、どうやら、無理をすると心も壊して心の病気になるというのも、次第にではあるが一般的な通念として現代人の中で定着しつつある。メンタルヘルスや精神医学が、理論的にも、技術的にも、制度的にも、何より人材(人間)の面で、この日本でプア(野田正彰・香山リカ)であるために、なかなか説得的な普及と定着を見ないが、ここ二十年間の経験で、日本社会は「心の健康」という問題に具体的に直面して、その問題解決の必要に、個別的にも総合的にも、間違いなく迫られている。精神分析の視角や方法を明治国家に適用するつもりはないが、「無理に無理をかさねた」結果が、「
ハルとナツ」で登場するあの伯母(カネ)のナツへの苛烈な虐待の精神構造なのではないかと思われてならない。重すぎる負担に耐えかねて人間の精神が歪んでしまったのだ。
それを仮にここで「明治国家症候群」と名づけるなら、橋田壽賀子が見たものは、その末期的症状の社会的横溢である。ナツから弁当を取り上げて学校に来させなくする従兄弟たちの弱い者いじめは、そのまま南京で虐殺と強姦を繰り広げる皇軍兵士たちの姿である。中国大陸で殺戮と虐待ができなかった女たちは、カネのように身の周りで自分より弱い立場にある者を執拗に虐めた。すなわち、抑圧の移譲であり代償である。橋田壽賀子のドラマには必ず弱い者いじめをする底辺の人間たちが出てくる。それは偶発的な存在というよりも時代的な存在であり、普遍的な存在というよりも歴史的な存在であるように思われる。時代の特徴なのだ。司馬遼太郎のクリスタルな明治国家の精神は、一側面として真実であり、例えば「おしん」の中でも「国民教育は国家の責任であるから全ての国民に平等に教育の機会を与えねばならぬ」と言って子守りのおしんを教室に招き入れる教師の中にそれはある。
だが、その反面で、そうした悪性の「症候群」的な精神の磨耗と疾患の構造的問題は、間違いなく当時の日本人の大量の部分を捉えていて、社会全体を重苦しくデスペレートな気分にしていたに違いない。「ハルとナツ」の第二回を見ながら、そのようなことを思った。
守るも攻むるも鋼鉄(くろがね)の
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の
皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
まがねのその艦(ふね)日の本に
仇なす敵を攻めよかし