前原辞任。「世に倦む日日」ブログ・ジャーナリズムの初めての政治的勝利である。長い戦いだったが、ようやく勝てた。ウェーバーの言うとおり、政治をする者は諦めてはならず、執念深くなければならない。「
情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴を繰り抜く(岩波文庫 『職業としての政治』 P.105)」作業に耐える人格でなければならない。昨年の衆院選で私は敗北し、薪に臥し胆を嘗めながら新自由主義に反撃逆襲する機会を待ったが、訪れたこの機会を逃さず捉え、一ヶ月間食らいついて離さなかった。偽メール事件を追及すれば、必ず前原誠司を辞任に追い込むことができる。偽メール事件を詳らかにすることが前原体制の没落を証しすることだと私には分かっていた。ここは「判断力」の部分であり、私は自分の判断を疑わなかった。前原誠司は逃げ切れると踏んでいたのだろうが、私は前原誠司を仕止めるつもりだった。
読みに勝ち、
勝負に勝った。この勝利は格別だ。ブログ・ジャーナリズムの勝利であり、正義と民主主義の勝利である。
偽メール事件の真相を包み隠さず明らかにすれば、前原誠司は代表辞任では済まない。原口一博も間違いなく議員辞職に追い込まれるだろうし、また、悪質きわまる情報隠蔽工作を主導した細野豪志と河村たかしの二人の責任も厳しく問われ、逃げる場所を失うだろう。メール問題検証チームの報告より先に前原辞任と永田辞職を発表したということは、代表辞任のサプライズの方に世間の耳目を集中させ、すなわち真実を隠蔽した出鱈目な「検証結果」に世間の眼が向かないようにマスクするためである。真相隠蔽の政治である。つまり前原誠司のクビを差し出すから、もうこれで勘弁してくれと言っているのだ。前原誠司のクビと交換の真相隠蔽なのであり、民主党側からの世間へ土下座取引の申し出なのだ。この事件はそのイベントのスタートが西澤孝を起点としているのではない。西澤孝は二次イベントであり、事件のスタート点は前原執行部と国対チームである。ライブドア事件で武部勤を標的にするという「国対戦略」があって、その材料として用意されたのが偽メールだ。
問題解決をここまで引っ張ったのは、引っ張らざるを得ないから引っ張ってきたのであり、あれこれ立ち回りながら、世間の追及がやむ日を待ち続けてきたのである。今回の行動も駆け引きなのだ。保身のための辞任なのである。今回の前原引責辞任でマスコミと党地方組織は納得して許してくれるだろう。だが、平沢勝栄の手の内には真相情報があり、このカードはいつでも切って出すことができる。真相解明が不十分だと言うことができるし、民主党の検証チームが報告した「検証結果」を覆す新証拠を突きつけることができる。事件はまだ終わったわけではないのだ。前原誠司は辞任したが、偽メール事件における民主党の責任という意味では、これはまだ蜥蜴の尻尾切りであり、その場凌ぎの逐次責任回避行動でしかない。前原誠司の代表辞任などで幕引きなどと思ってもらっては困る。膿は最後まで出し切ってもらわなくてはならない。人心一新は真相解明のためにこそ必要なのだ。
前原誠司の辞任会見を見たが、悪びれた様子もなく、ふてぶてしく倣岸な態度は何も変わっていなかった。一議員として安保問題をやって行くなどと言っていたが、前原誠司にこの後の政治生命などがあるのだろうか。前原誠司を政治家として評価信頼して一票入れようという人間がいるだろうか。それから辞職をここまで引き延ばした永田寿康に、社会人としての今後の活躍の場が果たしてあると言えるだろうか。永田寿康は辞職にあたって、恐らく大金を(鳩山家の金庫から)受け取ったことだと想像するし、その金額は一生食うに困らないほどのものだろうと思うが、実際のところ、永田寿康は人生を棒に振ったのであり、もうこの男には浮かぶ瀬がない。2/23に辞職していれば政治家として復活する目は十分にあった。人生の判断を間違うとはこういうことだろう。前原誠司に付き合って「生き恥を晒す」政治処世を試したがために、一生を犠牲にしてしまった。そして真相解明という形でさらにこれからツケを支払わされる。水に落ちたイヌとして叩かれる。
これから新代表が選ばれるという話だが、もう誰も民主党に期待などしないだろうし、新執行部ができても注目を集めることはないだろう。民主党は終わっている。もう党を解散してもよいのではないか。日本に二大政党制の政治体制を作る「政治改革」の試みは失敗に終わったのであり、民主党はその役目を終えた。当の民主党議員たちがそのことを一番よく理解しているのではないか。この偽メール事件の間、党内は異常なほど無風で、前原降ろしの動きもなく、二年前の菅直人の年金未納疑惑のときに右も左も大燥ぎしていたのとは様変わりだった。今回、スタジオに呼ばれた民主党の議員たちは、それをテレビで他人事のように論じていた。松原仁は、テレビ朝日の生放送で「私は別に党を代表して来ているわけじゃないので」と評論家様になってふんぞり返っていた。国民の前で申し訳ないと恐縮していた議員は一人もいなかった。党を代表して意見を言えないような人間が党を代表してテレビに出るんじゃない。テレビに出て国民の前に出たら、議員は党の代表だろうが。
民主党は生ける屍だ。組織として危篤状態で、人材がなく、蘇生する見込みはないと私は思っている。別の政治をアイディアしなくてはいけない。前原誠司は一応の責任をとったが、「政治改革」を喧伝した山口二郎と後房雄は責任をとらないのか。