毎日新聞が4/1と4/2に実施した
世論調査では、民主党の支持率は2月の前回調査から8ポイント下落して12%になっている。偽メール事件の結果、民主党に対する支持者の幻滅が一気に広がって数字にあらわれた。間もなく代表選挙があるが、そこで新代表が選ばれてマスコミ演出で挙党体制と反転攻勢をアピールしても、一体どれだけ支持率が回復することだろうか。私には甚だ疑問だ。しかも新代表の名前が菅直人や小沢一郎では暫くの間は支持率の回復は望めないだろう。
偽メール事件の影響というのは測り知れないほど大きいものであり、この事件が国民に与えた政治不信の深刻さの度合いをマスコミは正しく評価し報道していない。それはマスコミに登場する評論家や学者が並べて自民党政権の支持者か、あるいは民主党議員と身も心も一体の政治貴族のスポークスマンだからである。危機感がないのだ。偽メール事件は単に民主党への信頼が失われただけではなく、国民の政治への信頼と期待を根底から突き崩した。
国民はこれまで政治家に対する期待値の基準のバーを下げ、低劣化し無能化する政治家たちに何とか付き合って、政治との距離感を失わないように努めてきたと思われるが、そこまで堕落政治に免疫耐性を強めていたはずの日本国民でさえも、今回の偽メール事件は信じられない思いで立往生するしかない。どこまで堕ちれば行き着くのか。民主党が3/31に公表した偽メール事件の
検証報告書を読むと、そこには前原体制を支えたボンクラ政治家たちが10人から15人くらい登場して、偽メール事件の収拾を図るべくウロチョロ立ち回っているのだが、その様子は惨めなほど滑稽で、これを読んで自己嫌悪に陥らない民主党支持者や絶望で精神の打撃を受けない民主党支持者はいないだろう。昔のドリフターズのドタバタ劇を見ている感じもする。登場人物たちがあまりにも愚鈍でお粗末なのである。検証報告書を読むと、ピカピカのエリート様である前原体制の若手政治家たちが、一ヶ月半の間何をやっていたのかがよく分かる。
これを読むと、玄葉光一郎や平野博文や細野豪志や蓮舫が毎日ドタバタやっていたことは、結局のところ、独裁者である前原誠司の身をどうやって守るかに汲々とし、妙案がないまま四苦八苦して処理を先延ししていたということに尽きる。万策尽きて逃げ切れなくなり、前原誠司が生き恥を曝す限界に至って退陣の選択を余儀なくされた。バカの集まりの会社のように見える。民主党が会社だとすれば、こんな会社はすぐに潰れていただろうと誰もが思う。そしてこういう会社はどこにでもある。学歴だけが立派な幹部がゴロゴロいて、口先ばかり達者で市場を知らず、技術もなく業務は無能で、何かあれば鳩首会議を開いて無駄に時間を浪費するだけ。プライドだけが高く、高慢なエリート意識だけで生き、実戦(競争・喧嘩)には滅法弱い。会社ではなく(親方二大政党制の下の)政党だから民主党は潰れないのだが、すでに社員の士気は失墜していて、魅力のある新製品もなく、市場からは信頼を失い、人材も払底し、事実上会社は倒産している。
日本テレビの番組で、民主党の支持率に関して、特に女性からの支持率が異常に低い点が議論されていた。番組の数字では、男性の支持率が18%で、女性の支持率が9%だったと思うが、女性の支持率が男性の半分というのは政党として珍しい。これほど極端に男女間で支持率に格差のある政党は他にない。民主党はなぜ女性から支持を受けないのだろう。この問題は以前から指摘されていた政治学的にも興味深い事実で、私にはあまり納得できる合理的理由がこれまで頭に浮かばなかった。トップは菅直人と鳩山由紀夫で、イメージはソフトであり、例えば森善朗などと比較した場合、好感度の観点からすれば雲泥の差があったはずだ。若手議員もルックス審査を経てセレクトされていて、見た目のよい「人形」が揃えられている。学歴や履歴書のキラキラ度では自民党を抜いていた。が、私は今回の偽メール事件で、この問題についてそれなりに納得できる解答を提出できるようになったような気がする。民主党は女から遠い存在だ。
女はやはり男と較べて富や権力から相対的に遠い存在なのである。総体として見たとき、生産よりも生活に近いのが女であり、支配する側よりも服従する側に女は立っている。驕奢と権勢から遠い。そういう事があるのではないか。民主党のピカピカ貴族議員には生活感がない。地域経済との密着感がない。頭の中は天下国家の偉そうな観念論と官僚ペーパーの政策制度論とテレビコンプレックスの芸能界への色気だけだ。最初から永田町と民放放送局のある港区界隈で生息環境が完結している。中小零細企業の資金繰りや、生活保護家庭の家計や、老人介護を抱えた者の苦労を知らず、そうしたものに関心がない。だから野党のくせに平気で過激な消費税増税を言い、与党案では財政再建にならないから国民にもっと痛みを与えろと言う。中国は現実的脅威だと言って米国を喜ばせる。それを改革競争と称し、政権交代可能な政党だと高慢する。財界や米国にスリ寄る程度では、前原誠司や長島昭久の方が自民党よりも甚だしい部分はあるのだ。
財界とマスコミと米国。自民党政権を支えているこれらに接近し、これらから支持を受け、自民党よりも強烈なプロポーズで愛を射止めること。それが民主党の政権交代戦略だった。前原誠司の路線はその基本に露骨なほど忠実だった。富と権力から相対的に遠い女たちから支持を受けないのは当然なのだ。女は社会の中で基本的に弱い立場であり、相対的にパイから遠い存在であり、そして同時に生きるのにしたたかな存在である。実力のある者を見抜いて選ぶ。実力(権力)を持っている者、現実を動かせる者の方に着く。学歴と年齢とルックスの虚飾だけでは女の支持は得られない。見透かされて嫌われる。そういうことなのではないのか。民主党議員の責任感の無さや言葉の軽さは、それは
親方二大政党制によって制度的に保障媒介されているものだが、テレビで話をしている自民党議員と較べても、例えば平沢勝栄と較べても、本当に顕著であり、国民の常識から程遠いものであることを痛感させられる。常識は平沢勝栄の方にあった。
偽メール事件の間、平沢勝栄は視聴者である一般国民の目線を常に意識して発言していたが、民主党の議員たちはそうではなく、国民に恐縮する態度など微塵も見せず、嬉しそうにカメラの前ではしゃぎ、偽メール問題についてはその場凌ぎのスリカエとゴマカシの詭弁をだらだら続けていた。危機感も緊張感も何も無かった。国民よりも党首である前原誠司の視線の方が大事だったのだ。B層の主婦がマスコミに騙されて云々と言うけれど、こんな場面を一ヶ月も見て民主党に一票入れようという主婦がいたら頭がおかしいよ。