今月の27日から六本木ヒルズ52階にある森アーツセンターギャラリーで
「ダ・ヴィンチ・コード展」が開催される。その「ダ・ヴィンチ・コード展」の実行委員会から、一般公開に先立って催される内覧会とレセプションへのご招待のご案内を頂戴した。一昨年の秋に本の
批評をブログに上げ、その記事が検索上位にずっとランキングされていて、実行委員会の関係者の目に止まるところとなったのだろう。たいへん光栄で幸運なことである。来月5月20日には待望の映画も封切公開される。タイミングを合わせるように先月10日から文庫本が刊行されていて、二週間で百万部の売上を記録したことがニュースで伝えられていた。文庫本を待っていた待機組の読者も多かっただろう。司会者が代わって装いを一新するNHKの「新日曜美術館」も、その第一弾はレオナルド・ダ・ヴィンチの特集が予定されていて、これから初夏にかけての日本の芸術文化娯楽シーンは、「ダ・ヴィンチ・コード」一色に染まる予感がする。
本は面白かった。まだ読んでない人はぜひ読むべきだ。本の内容の面白さに較べて、その面白さをよく紹介しているブログが少ない。私はこの本で「キリスト教と女性」あるいは「宗教と性」の問題に関して大いに触発され啓蒙されたと思うが、パリとロンドン(ルーブル美術館とウェストミンスター寺院)の観光ガイドブックとしても素晴らしい中身を持っていて、その方面からの書評も加えておくべきだったと後で後悔した。「ダ・ヴィンチ・コード」は実に映像的な小説作品であり、そして市場的な動機と性格に満ちたコンテンツである。市場的という意味は、映画を作ったり、関連出版物を次々に派生させたり、こうした展覧会等の企画事業を生み出したりして、インダストリーとビッグビジネスを築いて回すという意味である。「ダ・ヴィンチ・コード」は全世界で巨大な産業構造を作り上げた。ダン・ブラウンは範疇として文筆家とか小説家ではなく、まさに米国的なビジネスマンなのであり、野心的な経営者なのである。
彼の頭の中には、恐らく最初から映画があったはずで、小説はトリガーと言うか、映画を含めたビジネスを立ち上げるための材料製作に過ぎないのだ。その材料製作についても、中身はオリジナルではなく、他の宗教専門家の研究成果のパクリである。パクったものをミステリードラマのテキストに変換したのが「ダ・ヴィンチ・コード」であり、頭の中のイメージは素晴らしいのだが、テキスト(文章)そのものは実に素人的で読書に堪える味わいがない。これは本を読んだ誰しもが感じることだろう。最近巷で流行っている表現を借りて言えば、ダン・ブラウンは小説脳ではなく映画脳の人なのであり、知識人脳ではなく実業家脳の人なのだ。作家として成功したいインテリではなく、ビジネスとマーケティングで成功したい米国人であり、ヘミングウェイではなくビル・ゲイツの範疇の人である。彼の才能は文芸ではなく事業にあり、そして実際に大成功を収めた。これからさらに映画と企画展と関連出版で全世界で大儲けする。
最初に読み始めたとき、これは翻訳者の能力が未熟なせいだろうかと疑いを持った。読み進むうちに、どうやらそうではなく、作者表現自身の文章能力の問題なのではないかと思うようになり、それで作者のプロフィールを調べて年齢を確認したのである。パクってアイディアを思いついたときが全て映像のイメージであり、本当はそのまま映画を作ることができればよかったのだが、資本がないので先にテキストにして小説本を売ったのである。映画化が最初から念頭にあったと思うのは、一つは物語全体がたった一晩の物理的時間で完結しているという舞台設定の問題で、読者はこれにはかなり違和感を覚えさせられる。ソニエールが射殺され、ラングトンとソフィーがパリ市内を逃げ回り、銀行でクリプテックスを手に入れ、例のシャトーヴィレットの邸宅でティービングの聖杯講義を受け、そしてロンドンに飛ぶまでがわずか一夜の時間内にパッケージされている。これはあまりに強引な詰め込みであり、無理がある。
どう考えても三日間くらいの時間は与えないと整合的な話にならない。読みながら、時間の処理に無理を感じ、なるほどこれは映画の原作なのだなという作品の本来的動機が見え透いてきて、小説としての物語の整合性よりも映画としての場面構成と完結性を優先した作者の意図を直観する。映画作品であれば、あの荒唐無稽で無理窮屈な時間設定も、それなりに「理解」と「納得」に繋がるに違いない。また米国に貢ぐのかよと思うと、決して気分爽快にはなれないが、この「ダ・ヴィンチ・コード」は、私がこの二年間に目を通した新刊書の中では最も面白かった本であり、誰もに一読を推める本であることは間違いない。「ダ・ヴィンチ・コード」の世界は本当に楽しめる。楽しくて豊かで面白い世界が広がっている。想像力をいっぱいかきたてられる。友人同士や恋人同士で感想を語り合ってこれだけ楽しい本はないだろう。繰り返して言うが、男はこれを読んで
性の問題を考え直すべきだ。性の本質と尊厳を思い知るべきだ。
そしてそれは女の美しさと神秘さと神々しさのことなのだと思い知るべきであり、グノーシスを求めて彷徨い、神である
神聖性の前に膝まづく巡礼者としての自己に気づき、謙虚に諦観するべきなのだ。