窓口対応した当時の栃木県警石橋署の生活安全課の署員と課長の氏名を調べているのだが、ネットの中で未だに発見できていない。当時の石橋署長は判明していて、氏名は
川俣力一で、何とこの男は栃木県警の生活安全部長に出世していた。それからまた、私は三年前の業務上過失致死容疑での刑事告発に対して当時の石橋署員を「嫌疑不十分」で不起訴処分にした宇都宮地検の担当検事と責任者の氏名も知りたくて、どのような検察官がそのような判断を下したのか国民は知る必要があると考えている。判断の誤りと責任が追及され、その上で社会的制裁が加えられるべきだ。このような免責免罪が許されるならば、警察はどのような被害の訴えに対しても捜査をする必要がなく、被害者が死体になって発見されるまで事件として扱わなくてよいということになる。今回の事件においては警察は最初から最後まで加害者なのであり、権力を使った殺人幇助と悪質な犯罪隠蔽を行っている。権力犯罪だ。
こういう事件を見ながらいつも思うことだが、日本では警察官の犯罪を取り締まる法律がない。という表現が適切かどうか分からないが、警察官の捜査行為を拘束して違法行為を糾す法律がない。という問題を考えさせられる。具体的に言うと、
警察法というのがあって、その第2条で「警察の責務」が定められていて、例えば今回の事件における石橋署員の対応は、「
警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」とする条規に明らかに違反しているはずなのだが、この責務規定に違反した場合の罰則規定が警察法にはない。責務を抽象的に表現した一般条項の地位にとどまっていて、分かりやすい日本語で言えば「タテマエ」である。警察法は主として警察の組織について定めた法律で、公安委員会の地位を形式的に定めた法律だが、我々の期待する「警察基本法」的なものとは程遠い。
それから
警察官職務執行法という法律があり、これはどうかと念のため見てみると、この短い法律は警察官が職務執行するに際して関係者の人権や権利を十分に保護し配慮するように定めた法律で、警察官の職権濫用を戒める目的と意義があるものだが、これもまた警察の組織や司法警察員の行動の全般を規制拘束する「基本法」の性格はなく、また警察官の職権濫用によって一般市民の人権を傷つけた場合の罰則規定もなく、抽象的な目標条項の羅列となっている感は否めない。犯罪捜査とか司法警察とかを一般的網羅的に規定した法律(基本法的なもの)はないものかと探していると、どうやらそれは法律としては刑事訴訟法が代行しているのである。私の見るところでは、警察にとっては刑事訴訟法が全てなのだ。例えば警察の捜査とは何かという問題だが、それは刑事訴訟法の捜査こそが警察の捜査活動の法的根拠になるもので、読めば気づくが、驚くほどに無制限のフリーハンドである。
捜査の方法や手続について
刑事訴訟法は警察に拘束と監視を与えるのではなく、逆に裁量の自由を与えている。須藤夫妻の九度にわたる石橋署への捜査要請に対して「
警察は事件にならないかぎり動かないんだよ」と言って追い返していた石橋署員の行為が、何故に違法行為とならないのか不思議なのだが、業務上過失致死容疑の告発を不起訴処分にした検察官の頭の中にも、警察の行為については刑事訴訟法だけが万能なのだという考え方があったに違いない。この栃木リンチ殺人事件も、それから桶川ストーカー殺人事件も、同じように被害者家族からの訴えや届けが生活安全課や末端刑事のファイルに格納隠匿されたまま、組織の上部に上がらず、捜査が起動されなかった。刑事訴訟法では189条で「
司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする」と定めているけれど、どのような場合が「犯罪があると思料するとき」なのかを規定していない。
司法警察員が「犯罪があると思料するとき」が「犯罪があると思料するとき」なのである。具体的な要件を客観規定しておらず、したがって犯罪があると思料しなければならない事案において思料を怠った者の不作為の責任を追及する法的根拠が明示されてないのだ。現場の自由裁量を法律が保障している。私は、この刑事訴訟法189条を補完する警察庁の内部法令とか、警察官心得の一般規定のような法規があるはずだと思ってネットの中を必死で調べたが、その目的を満たす法令を探り当てることができなかった。その代わり、
犯罪捜査規範というものを見つけた。これこそ実に犯罪捜査の基本マニュアルそのもので、きわめて重要なものだが、これは法律ではなく内規であり、また例によって条規に違反した場合の罰則の規定がない。「被害届」の法的根拠や法的効力も刑事訴訟法の中には明記がない。刑事訴訟法の中には「被害届」という言葉がない。犯罪捜査規範の中で定められた制度である。
市民社会の立場からの警察基本法を制定する必要がある。が、これは簡単ではないだろう。例えば、いま巷で論議されている政権交代が起きて民主党が政権に就いても、「警察基本法」の制定はないだろうと思われる。結論から言えば、市民革命が起きないかぎり、日本人が警察の不正や犯罪を止める手段や環境を社会的に獲得することはできないのではないか。
(上から四枚目は4/12の地裁入りの写真で、赤い女性ものの雨傘は亡くなった妻の洋子さんのもの)