刑事警察(関連)法は、警察官と警察組織を絶対に法を犯すことのない正義のロボットのように想定していて、彼らが法を犯したり、犯罪行為を行ったりということを全く前提していない。それは当然のことで、その前提が崩れれば社会の秩序は維持できない。
前の記事で、警察法や犯罪捜査規範に警察官自身の違法行為に対する罰則規定がない点を指摘したが、罰則規定が必要だと言われる現在の警察の実態こそが問題で、本来的に法の不備という問題ではないだろう。警察官は絶対に犯罪を犯してはならず、絶対に犯罪を犯さない完璧な正義の人間が警察官でなくてはならず、そこに例外があってはならない。だから、問題は法ではなく、警察法の中に罰則規定を設ける必要があると言わなければならなくなった今日の警察こそが異常なのであり、このような警察を野放しにしている日本の政治と国民こそが問題なのだ。法と正義を守る警察が自ら犯罪に手を染め、自浄できぬまま社会環境を汚染している。日本の治安悪化の元凶の一つは警察の堕落とモラルハザードにある。
モラルハザードは法整備によって解決できる問題ではない。警察の犯罪や不祥事に限らず、賄賂や官製談合や政治腐敗など全ての面で言えることだが、どれほど罰則規定を強化し法整備を図っても、それを守る人間がいなければ法は守られない。法の網をスリ抜ける運用と解釈の悪知恵を働かせて犯罪行為を正当化し合法化する。罰則規定の条文の山があっても、それを守る人間がいなければ結局のところ意味はないのだ。つまり倫理の整備である。例えば、最近の日本人は赤信号でも車が通っていなければ平気で道路を横断する。二十年前はそうではなかった。車の通行がなくても信号の前で待っていた。中国へ行くと、西安で実際に体験したことだが、無論、それは全部ではなく、一部の偶然の出来事だったけれど、交差点で(人ではなく)車がそれをやっている場面があった。交通法規の遵守がルーズで、車の運転がデインジャラスだ。日本人が見ると驚く道路交通実態がある。中国にも日本と同じ道路交通法があるはずだが、法を守る人間がいないとそのようになる。
少し関連するが、山口二郎が「
政治改革」の中で次のように書いていた。「
議論の出発として、ここでまず政治腐敗がなぜ頻繁に起こるのか、その原因について考えてみたい。贈収賄や政治資金規正法違反などの政治腐敗が問題となるたびに、世論では政治倫理の確立が叫ばれる。しかし、議論のはじめに確認しておかなくてはならないのは、政治腐敗は金をもらう側の政治家および官僚や、金を出す側の業者の、心構えや倫理の問題ではないということである。もちろん政治家や経営者がみんな清く正しい人間になれば腐敗はなくなるが、改革の方法を議論する際に、権力者やこれに利益を求めて群がる人々の内面を改造しようというのは、もっとも非現実的な発想といわざるをえない。政治改革の論議は宗教家の説教とは違う」(P.13)。だから二大政党制にして、政権交代するシステムを作れば、自動的に政治腐敗を根絶できるから選挙制度を変えようと言って、小選挙区制にしたのが「政治改革」だった。二大政党制の政権交代システムは政治腐敗自動浄化装置の触れ込みだった。
小選挙区制を導入して十年が経ったが、最近の日歯連汚職事件にせよ、耐震強度偽装問題にせよ、政官業の黒い癒着の問題は次から次へと噴出して止まるところを知らない。腐敗は続きながら政権交代はサッパリ実現せず、山口二郎ら政治改革イデオローグが国民に公約した「政治腐敗浄化システム」は実のところ全く機能しなかった。法制度を整備すれば腐敗や汚職がなくなるというのは幻想のようである。法が守られるためには、法を守る人間が作られねばならず、人間の内面こそを整備しなければならない。人間の内面が破壊され荒廃しているから日本の治安が悪化するのだ。整備が必要なのは外側のシステム(法)ではなく、内側のシステム(倫理)である。法と倫理、外側のシステムと内側のシステム、その両方が揃ってはじめて社会の正義と秩序が維持される。規範はそれを規範として内面化する精神がなければ規範とはなり得ず、ただのタテマエを箇条書きした紙切れで終わってしまう。堀江貴文の経営における法律認識と同じで、「違法とは意識していなかった」、すなわち「捕まるまで違法とは思わなかった」である。精神の育成と内面の整備こそが今まさに必要なのだ。
「政治改革」は国民にとって何の利益にもならず、民主主義を発展させるどころか、逆に国民の政治不信と政治離れを加速化させ、死票の山を築いて投票率を押し下げる結果となった。「政治改革」で儲けたのは、山口二郎や後房雄ら政治改革学者と、松下政経塾と、二大政党制によって労せず大量議席を確保できるようになった民主党と、
政党助成法の恩恵によってさらに大金を稼いだ自民党だけだった。民主主義は制度ではなく運動だと言っていたのは日本の政治学の伝統を作った丸山真男だったが、丸山真男の学舎を出て職業に就いた山口二郎が上のような事を言い、丸山真男の本屋からランプマークの新書が出るのが、私には全く理解できない事だった。日本の民主主義を守り発展させるためには、国民の一人でも多くを民主主義者にしなければならない。まさに内面の問題そのもの。丸山真男の政治学は、日本国民の一人でも多くを民主主義者にするための学問であり、民主主義者を育てる教師を育てる学問だった。内面(倫理)の整備が疎かにされ、民主主義者が減り、民主主義思想が薄くなり、国民大衆が江戸期の庶民に戻り、日本国憲法を守っているのが
天皇陛下だけになった。
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