今回の衆院千葉7区補選の選挙結果を誰よりも喜んでいるのは、小沢民主党への期待を煽り、二大政党制の護持のために公共の電波で必死にプロパガンダを続けたマスコミだろう。今朝の岸井成格の安堵した表情が印象的だった。この選挙で敗北すれば、自分たちが人生を賭けてこの国に構築してきた神聖な二大政党制の政治体制が崩壊する。「政治改革」は失敗だったという結論になる。民主党代表選挙前後からのマスコミの二大政党制擁護のプロパガンダは凄まじかった。私が驚いたのは、代表選の直後に上がった千葉7区補選の「民主党候補優位」の情勢分析報道である。共同通信だったか、毎日新聞だったか忘れたが、4/10か4/11頃にはその世論調査結果が速報されていた。代表選が4/7で、そこから猛烈な小沢支持キャンペーンが始まり、一瞬の裡に民主党の支持率が11%から18%にハネ上がったが、さらに間髪を置かずに千葉7区補選の「民主党候補リード」報道が情報発信された。マスコミの力は実に絶大だ。
今回、千葉で元キャバクラ嬢の民主党候補を勝利させたのはマスコミの力以外の何物でもない。投票の実態を見ても歴然としているが、昨夏に小泉自民党に投票した人間が、今度は小沢民主党に鞍替えして投票している。昨年は「郵政民営化」にコンビンスされて自民党に一票投じた同じ人間が、わずか半年後に「負け組ゼロ」のスローガンに共感賛同して民主党に一票入れている。わずか半年。「郵政民営化」の政策とは、「負け組」を大量生産し、階層間格差を拡大し、それが不可逆的で半永久的なシステムに固定するまで新自由主義政策を推進する改革政治の代名詞の言葉だった。郵政民営化法案が選挙前に審議されている途中でも、小泉首相と竹中平蔵の新自由主義路線は格差拡大政策だからよくないという批判は野党議員から何度も出されていた。思い出して欲しい。けれども、国会で、小泉首相はその批判を一蹴し、従来の日本があまりに悪平等社会であり、社会主義だったから日本が駄目になったと堂々と反論していた。
小泉首相の格差歓迎論は決して最近になって言い始めたものではなく、日本社会の悲惨な格差実態(貧富拡大と階層固定)はこの半年間に現出したものではない。郵政民営化の是非を問う選挙は、明らかに、中身として、格差拡大政策の是非を問う選挙そのものだった。しかるに、マスコミは参議院で否決された郵政民営化法案を絶対的な正論として全局を挙げて
支援報道し、郵政民営化に反対する議論を亡国の邪論として放送から
締め出し、小泉自民党を圧勝させた。選挙の結果は最初から決まっていた。マスコミが格差拡大を積極的に容認し推進したのだ。格差反対の声は、改革を否定する時代錯誤の社会主義的異端論として卑蔑され、悪罵され、排斥された。わずか半年前のことだ。結局のところ、今度の千葉補選もマスコミが勝利したということであり、有権者がマスコミに踊らされて、マスコミの宣伝扇動のままに一票を投じたということに過ぎない。マスコミが投票せいと言う方に投票するのである。計算どおり、台本どおりのマスコミの勝利だ。
今回の民主党候補の勝利を小泉改革に対する批判票だとか、国民の意識の変化だなどと評価するのはマスコミに踊らされている証拠であり、自分自身がマスコミに洗脳されている事実に無自覚なだけだ。半年後にはマスコミは別のことを言い、別の争点で国民を政治誘導している。今回、マスコミが死守したのは二大政党制であり、それは米国による経済支配と世論操作を貫徹できる現在の体制の意味に他ならない。ここで民主党が敗北すれば二大政党制の幻想が崩れ、政権交代のユートピアの虚構が暴露され、国民が新しい政治体制の可能性(革命)の方向に向かう。それを阻止するため、再び民主党に期待を持たせるために、昨年は郵政民営化を咆哮していた連中(岸井成格・みのもんた)が、踵を返したように二大政党制維持のキャンペーンを張ったのである。どうせ小泉首相は9月で退陣するのであり、ここで一議席自民党の議席を減らしたところで何の影響も出ない。格差が政治の関心になっているのは今だけだ。格差問題はいずれ背景に退く。
ポスト小泉の政治の争点は憲法であり、一年後の参院選の争点は憲法改正になる。この点は
前にも予想を述べたが、憲法改正を争点として突きつけられたら、民主党は郵政民営化のときと同じように動揺して同じ矛盾した曖昧な対応にならざるを得ない。すなわち党内に賛成派と反対派の二派を抱え、意見集約できず、外向きには消極的賛成を言わざるを得ず、その中途半端な態度をマスコミに叩かれて国民の支持を失うだろう。格差問題についても本当は同じで、党内には前原誠司のように改革競争路線を堅持している松下政経塾卒の過激で強硬な
新自由主義者がゴロゴロいる。新自由主義、すなわち格差拡大路線を党の基本政策として据えなければ、少しでも社会民主主義的な路線にシフトすれば、少なくとも財界と米国の支持は絶対に得られない。財界と米国の支持を得られないということは、国政選挙本番でのマスコミの支持も得られないということを意味する。リアリズムはそこにある。だから二大政党制を維持する限り、日本の格差はますます拡大する。
小沢一郎の「格差是正」はガス抜きの慰めであり、「共生社会」は票集めの看板標語である。二大政党制を破砕する「革命」を展望しない限り、マスコミ政治を突破しない限り、われわれは格差社会を止めることはできない。必要なのは民主党のポピュリズムの標語に踊らされることではなく、国民が政治を革命することだ。